赤の次は再び黄色、洪水騒ぎの後に再びデモ
赤シャツ暴動で大騒ぎしたアピシット政権は翌年2011年の下院選を経て、タクシンの妹を首相とするインラク政権に代わる。インラク・チナワットは1967年6月21日、北部チェンマイ県チェンマイ市に9人兄弟の末っ子として生まれる。チェンマイ大学政治学部卒、米ケンタッキー州立大学で行政学修士。兄のタクシンが創業したタイ携帯電話サービス最大手アドバンスド・インフォ・サービス(AIS)、チナワット財閥の不動産会社SCアセットなどの経営幹部を務めている。当然、政治経験はない。事実婚で子供が1人。
日本語のウィキペディア辺りでは、「名門チナワット家の出身で経営者としての手腕を買われてプアタイ(貢献)党からの首相候補に」などと持ち上げられているが、仕事は一族経営で社長の座を得ただけ、首相候補はタイに戻って来られない兄に選挙戦を勝ち抜くために客寄せパンダとして祭り上げられただけ。44歳というタイ歴代で最年少の首相となったハンサムなアピシット、その次はやはり44歳でタイ初の女性首相となりうるインラク。アピシットの前まで続いたガマガエル顔という評価のサマック、日本人には漫画のダメおやじみたいといわれたソムチャーイなどのカッコ悪い首相に戻ってほしくない、というのがタイ国民の真の思いだったのではと勘ぐるほど、美人のインラクは立候補の頃から人気があった。
2011年、インラク政権発足早々に発生した洪水騒ぎ。琵琶湖の貯水量の3分の2~全量がタイ北部・中部・バンコクに流れ出たという。
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