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もはや知る必要もないであろう、どちらかが撃った弾

 2010年4月10日の騒ぎは25人前後の死者と850人前後の負傷者を出した。この騒ぎで最も注目を浴びたのが、ロイターの村本博之氏と脳を吹き飛ばされた赤シャツの男だ。

 村本氏は民主記念塔の近くで亡くなっている。陸軍と赤シャツの衝突は少なくとも3回、日中、夕方、夜に起きており、村本氏は夜6時から7時にかけて撃たれたはずだ。コークウア交差点で倒れたとされていたが、当時現地に居合わせた日本人カメラマンや(捜査当局ではない)警察関係者が後日いろいろ調べたところ、ディンソー通りで撃たれたことが分かった。いずれにせよ、外国人旅行者向けの安宿が集まるカーオサーン通り近くだが、同年8月23日に現場を訪れた当時の岡田克也外相は間違った場所に献花していたのではないかと、心配になったことを覚えている。

 村本氏を撃ったのは陸軍なのか赤シャツなのか。その議論は今でも続いて解決に至っていない。捜査当局、このときは警察ではなく法務省特別捜査局(DSI)が動いていたはずだが、赤シャツを制圧する側のアピシット政権のころは「赤シャツからの弾によるもの」、2011年に政権が代わってタクシン派のインラク政権になると「陸軍が撃った弾に被弾」と言うことをころころ変え、鼻白むほどに政権の顔色をうかがっていた。また、ウィキペディアの村本氏について書かれたページには、
「陸軍が(その日の)兵士による水平発射を認めた」
と共同通信のニュースを引用している。しかし、水平射撃を認めただけで陸軍が村本氏に向かって発砲したと発表しているわけではない。こういうのを情報操作という。

狭い物陰に身を隠す兵士たち

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