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Chapter 3 タクシンの麻薬戦争が南部国境県テロ激化の一因

 タクシン首相のテロ否定は以前からのものだ。2002年4月、マレー系分離独立派組織のテロ活動が「止んだ」として、南部国境の治安維持を目的とした「南部国境県管理センター(The Southern Border Provinces Administration Center, SBPAC)」と「第43文民・軍・警察部隊」の解体を決定。南部国境県での中央政府の権限が他地域並みに強化されたた。これも後のテロ激化の一因となっている。

 南部国境県管理センターは結局、戒厳令が敷かれた後の2004年3月、軍・警察から成る「南部国境県平和建設司令部(The Southern Border Provinces Peacekeeping Command, SBPPC)に取って代わる。2005年2月にはアナン・パンヤラチュン元首相を委員長とする特別委員会「国家調停委員会(NRC)」も設置された。アナン元首相はこのとき、イスラム法の導入、ヤーウィー語の実用語化(2006年11月に閣議決定)、非武装平和維持軍の設立など、平和的解決に向けての案を提示したが、後のテロ激化で強硬路線による解決の声が高まり、多くは採り入れられなかった。

 2006年9月19日のクーデターの後、軍政の国家安全保障評議会(CNS)が、SBPACを再建している。ただ、このような南部国境県を管轄する組織は「出ては消え」を繰り返しており、まともに続いた試しがない。現在は首相(首相府)直属の国内治安維持部隊(Internal Security Operations Command, ISOC)が編成されている。

ムスリム住民とのコミュニケーションに努力する仏教徒の警官

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