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黄色の後は赤が大騒ぎ 「赤シャツ暴動」への序曲

 2008年12月2日のソムチャーイ政権の空中分解から3週間後、アピシット政権が誕生した。タクシン派の政党と敵対する下院第2党の民主党が与党陣営から寝返った4党・派閥と連立、過去8年総選挙で負けたことがなかったタクシン派はいつの間にか政権を奪われていた。

 首相となったアピシット・ウェーチャチーワは、歴代の首相の中で最年少の44歳で就任。在タイ日本人の間でよくいわれた、サマック首相のガマガエル、ソムチャーイ首相のダメおやじ、というあまり外国には自慢できない首相の後、ようやくハンサムな首相が登場した。

 一方、タクシン派は一斉にアピシットを非難、「選挙で選ばれた首相ではない」と繰り返す。日系メディアもその声を取り上げていたが、そもそもタイに限らず多くの国で、首相や大統領が直接選挙で選ばれるわけではない。比例代表の1位を首相候補とするのが慣例で、後の2011年の下院選ではタクシン派のプアタイ(貢献)党がタクシンの妹のインラクを代表1位としたが、タクシンは海外から党を操ってぎりぎりまで首相候補を明言しなかった。民主党はこのとき貢献党を非難しているが、日系メディアはスルーだった。

 権力を維持していたいタクシン派も、タクシンを引きずり下ろしたい反対派も、やっていることは変わりない。しかし日系メディアというのはどうしても、タクシンをヒーローとして扱い続けたかったようだ。

タクシン崇拝の域を出なかった反政府運動

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