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「食」への想い

食事について綴っていきたいですが、サクッと語れる内容ではないので、記事も何回かにわたってまとめていくと思います。

私自身の「食」のあり方は、「食べること=生きること」そのものだと思います。
これは自分自身の人生や、特に保育園で栄養士をしていた頃によく感じていました。

「健康であるために、栄養のあるものを食べる」これは大正解ではあるのですが、例えば完璧な栄養バランスのために栄養補助食品やサプリメントのみを摂取する、これで心は満たされるでしょうか?

やっとの思いで登った山頂で食べるカップラーメン、
ずっと前から楽しみにしていた友達とのケーキバイキング…毎日食べていたら健康を害するかもしれませんが、その瞬間はその食べ物がキラキラ輝いていて心も体も満たされたと思います。

子どもの頃に初めてクッキング体験をしたカレーライスなんて、その子が大人になった時にも「おいしかったなぁ~」と思い出に浸るほど特別な時間になりますよね。

私も、幼稚園のときにした芋ほりのあと、先生がずいきを炊いてくれたものを食べさせてくれたときの「おいしい!」の感動が忘れられずにいます。

毎日の食事には、そんな心の栄養もかかせません。

5次元にシフトした人なら、食べ物そのもののエネルギーを変えてしまえて、何を食べてもへっちゃら健康となるかもしれません。
がんばったらそんなこともできるかもしれないけど、毎回の食事となると大変だし、今の次元ではまだまだで、体に良いものかつ自分の体質にあったものや方法で食べる方が簡単だと感じます。

日々の食事に栄養だけではなく、想いを込める。

毎日忙しくされている人も多い中、難しいかもしれません。
でも、時間や心に余裕があるとき試しに想像してみてほしいこと。
目の前で切っているキャベツが、この瞬間までに受け取ってきた愛について。

きっと種をまいて育ててくれた人がいて、お日さまからのあたたかいまなざし、雨の恵み、葉っぱを食べに来た虫さん、大地からの力強さ、毎日少しづつ大きくなる喜び…もっときっといっぱいある。

そんな想像をしただけで、ただのキャベツがオンリーワンなキャベツに大変身するはず。 その食材を使った料理は特別なもの。

そして、愛いっぱいのキャベツを感謝しながら口にする私は、私もまた愛そのものの存在なのだと、幸せが伝染していきます。

あたりまえにあるもの、忘れてしまっても、時々そうやって思い出せたらいいんじゃないかなと思います。

口にするものはすべて命あるものばかり。

動物性のたんぱく源も、私としてはまずは必要最低限に抑えていきたいという考えです。
知ろうとしなければ知らないままの、お肉になる動物や、卵を産む鶏のひどい現状など知ったから。
声があげられない存在はいつまでもそのままでいいのだろうか?

でも、言葉で表現するとそれは1つの概念となり、ある人にとっては迷惑な正義になるかもしれないということ。

そんな想いの行き先が最近見つかりました。
私は絵が好きで描いていますが、ある動物を描いているときに、とてもその意識とつながりやすいなと感じたことがあります。

私は私の想いを、真実を、絵を通して表現していきたいという答えが見つかりました。

絵は自由です。
想いをのせられるけど、受けとるものは相手次第。
また新しい自分に出逢えそうです。

「食」への想いだけでなんだかお腹いっぱいな記事になってしまったので、次回こそ内容に入って行きたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました♡


 

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