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情報を取り入れすぎて自分を見失ってしまうのは、錯覚だけど錯覚じゃなかった

こんにちは!ふじです。
この記事でお伝えしたいのはタイトル通りですが、これは本当です。
今回はこれを「錯視」を用いて証明します!

“情報をたくさん得ることはいい事なのか”


はじめに書かせていただきますが、個人的にはたくさんの情報を得ること自体はとてもいい事だと思います。
何も知らずに何かを語るより、正しさも説得力も増すでしょう。
でも、その“加減”は?

あまりにたくさんの情報を得る事で、逆に悩んでしまったり迷ってしまったりしていませんか?

そんなあなたに納得を提供します。
きっと、納得さえできれば楽になれるはずです。

では早速行きましょう!
まずはこの錯視をご紹介します。

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人間の目は本当に不思議です。
そして思っている以上に単純です。
何でも見極められそうに思うのに、すぐに騙されてしまいます。

縦線2本で隔てられた空間で遮る事によって、まるで斜めの直線がずれているような錯覚が起きてしまう、という錯視です。

ちなみこの現象、縦線2本の間隔が広がれば広がるほど、この錯覚は顕著になります。
参考までに、作ってみました。

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ほらね?
ではここで、ちょっとだけクイズにしてみましょう。

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どれだと思いますか?

正解はこちらです。

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当たりましたか?
僕は間違えました笑

逆に、縦線2本の間隔が狭くなれば狭くなるほど、この錯覚は起きにくくなります。

狭くしてみた図ですが、どうでしょうか?

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きっとほぼ全ての人が錯覚せずに済んだと思います。

さて、こんな「たった2本の縦線」でこんなにも錯覚してしまうこの現象。

「錯覚って面白い!」だけでは済ませない不穏な感覚に僕は襲われました。

だって僕には、

斜めの線が「自分」で、縦線2本に囲まれた空間が「情報」に見えてしまったからです。


さきほどの図に書き加えると、こうです。

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“自分が信じているものってなんなんだろう”


メディアから入ってくる情報や、SNS等から受け取る情報。
ある意味それらが「自分に乗っかって自分を隠す存在に見える」という点で、こう見えたんだと思います。

様々な情報や知識を得る事はいい事で優れていると思っていたはずが、あまりに多くの情報を得る事で、「自分が信じているものってなんなんだろう」と逆に悩んでしまったり、混乱してしまっている自分に見えてしまったのだと思います。

こう見えた以上、もう作ってみるしか選択肢はありませんでした。
上でご紹介した例と同じく「更に多くの情報」で「自分」を遮ってみますた。

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うわぁ...やっぱり。
たぶんこれが僕です。
そして、自分が真っ直ぐなのか直線なのかさえ分からなくなってしまうあなたなのかもしれません。

“自分で自分が分からなくなるはずだわ”


勝手にめちゃくちゃ納得してしまったのは言うまでもありません。

“1本の直線”であるはずの「自分」を見失うなんていう、一見矛盾した気持ち。理屈。

こう考えてしまう自分自身を「矛盾の塊」だと感じ、
“きっと僕が何か間違っているんだろうな”
とすら思っていましたが、そうではありませんでした。

多くの情報で自分を遮る事で、錯覚が起きていたのです。たぶん。
本当は直線なのに、ずれている錯覚を起こしていたんです。おそらく。
今はただ、そう思いたい笑

さぁ、でもこれに納得できれば、やる事はひとつです。

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制限するんです!!

別にね、
「どんな状況でも私は私を見失ったりしない!」
「どう見えようとも私は私!」

こういう確固たる自分を持っている方にまでオススメしようとは思いません。

ただ、情報にまみれて自分を見失ってしまいそうなあなた!
質や量はあなた次第ですが、制限してみませんか。

言うまでもないのかもしれませんが、これは「人」や「物」でも全く同じ事が言えると思います。

断捨離ミニマリストなんかが流行るのも受け入れられるのも、きっと大きくはこういう事なんだと勝手に解釈しています。

ちなみに勝手に展開しているこの「錯覚からの解放シリーズ」

ひっそりと今回は第2弾でしたが、まだまだネタがあります。

楽しかったよ!というあなた、ぜひ応援してください!

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたの毎日が少しでも楽に、楽しくなりますように!!

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