令和2年12月8日、僕は死んだ。
もう少し正確に言うと、殺されてしまった。
もともと、長生きしたいと思うタイプではなかった。
太く短く生きられればそれでいいと、若い頃から思っていた。
それでも自分の人生を“太い”と思うことは、結局少ないままだった。
嫌なことばかりではなかったし、どちらかと言えば恵まれていた筈なのに。
何故そう感じてしまっていたのかなど、今となっては分からない。
妻がいて、子供もいた。
涙よりかは遥かに笑顔の方が多い生活だった。それなのに。
こんなことになるくらいなら遺書くらい書いておけば良かったと思ったから、せめてここに書いておく。
きっと、頑張れば叶う事がもっとあった。
どうせ死ぬんだったらやっておけば良かったのに、どうしてやらなかったんだろう。
後悔してももう遅い。
今日、僕は死んでしまった。
前向きになりたいのに後ろ向きなままで。
恵まれているのに悲観したままで。
妻や子供も残したまま。ここで何を言おうと、もう届かない。
やりたい事もせずに、守りたいものも守れずに、やるべき事もやらずに僕は死んでいく。
僕は、僕に殺されてしまった。
はい〜っ! ここまで !!
死んでなどいないし、絶対に死ぬもんかいっ!!
ごめんねなんだか怖い風な事を書いてしまって。
たださ。
自分の中のネガティブを煮詰めていってしまうとこうなってしまう怖さを、微量ではあるけど確実に感じることがある。
僕には少なくともその素質が、その気質があるという自覚がある。
本当は、こんな思考は捨てたいと、やめたいと常々願っている。
無くせるものなら無くしたいが、思考の捨て方など知らない。
どうすればいいのかは、今のところ分からない。
落ち込んだとしても、できるだけ前向きに捉えるしかなく、どうにか自分を奮い立たせるしかないのが現状だ。
逃れられないのなら、無くせないのなら、少しでもこれを小さくする努力をするしか、うまく付き合っていくしかないとも思っている。
今回は本当にふと、車を運転している時に「火垂るの墓」のオープニングを思い出してメモっていただけだ。
令和2年12月8日、僕は死んだ。
これだけメモっておいたから、勢いだけで書きなぐってみた。
なんとなく面白い記事が書けそうな、なんの根拠もなくそんな予感がしただけで、深い意味など本気でなにもない。
自分でもまさか、こんな事になるとは思いもしなかった。
書き出した時になんとなく悲しく暗く書いてみようと思った節こそあるが、書いてみた文を自分で読んでみたら、なんだか自分で救われた気がする。不思議だ。
あ。 絶対にまだ死んだらいかんな! 頑張ろう!
とりあえず、強烈に前向きにこう感じることができた。
落ち込んだら、自らここを覗きに来てみようかなとすら思う。
暗くて面白くない話で、本当にごめんね。
身勝手な話だとは思うが、僕自身は今とても清々しくスッキリしている。
生きていたいなと、もっと頑張んなきゃと素直にそう思えてる。
こんな文章でも、誰かにとっての救いになったり前向きな気付きになる事もあったりするんだろうか。少しだけ知りたい。
僕が救われたり、助けられたりする記事や歌も、意外と書いている人はこれくらい軽いノリで書いてたりするのかもしれないと思うと、更に気持ちは軽くなる。
前向きになりたいのなら、どこかに救いを求めるよりも書いてみた方がいいかも知れないぜと、それだけ書いて今日は締める。
こんなのでも読んでくれてありがとう。
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