note というアプリとの出会い

このnoteというアプリをこうして僕が始めたキッカケは、先日、運転中に聴いていたラジオ番組内のゲストが、
“写真や文章など様々なコンテンツを手軽に発信出来る”
と語っていて、それがなんとなく気になったからである。

すぐにインストールして、適当に眺めてみたが、
“よく分からないな” が最初の印象だった。Tumblrと似ているとも感じた。
様々な写真やイラストやニュースやブログが
雑然とホーム画面に流れて来て、何を見たらいいのかよく分からない。

1週間くらい開かずにいたので、noteは不定期で行うiPhone内整理時における「アンインストール対象アプリ」の候補になっていた。
だが、昨日の仕事帰りの電車時間の中で、このアプリはその対象から一旦外れることとなった。

手持ち無沙汰になり、なんとなくこのアプリを開き、なんとなく、
検索人気のハッシュタグ #コラム
と進み、
駅までの40分間、気付けば夢中で様々な人のコラムを読んでいた。スキも何度か押した。

OLさんによる通勤電車内でのトラブルについての記事なんかが特に面白かった。
東京の通勤電車でストレス発散をする小さい男共を冷静な目線で皮肉っている。それも非常に読みやすい文章で。
なるほど、自分も気を付けなければと感じさせられたのである。

プロの執筆家でもなんでもない、普通の人達。
今まさに電車で隣に座っているような人が、
世の中のことについて的確な意見を綴っている。
数行の呟きでなく、綺麗な文章で。
とても新鮮だった。

6,7年前の大学生の時、
僕は今よりもっともっと世の中の様々な事象、出来事に興味があったし、探究心もあったと思う。
大学生ながらに、常に知性と教養を磨こうとしていたのだ。
奴隷制により暇を持て余した古代ギリシア人が哲学を作ったように。
こう例えるとなんとなくカッコいい。

だが今はすっかりサラリーマンの生活で、そんな精神は薄れまくっている。
思考停止人間になりつつあるのが自分でも分かる。

いま突然誰かに、
“某航空会社と空港警察官による今回の一連の対応について、あなたはどう思う?”
と問われても、“うーん”と言って時間を稼ぎ、結局中身の無い言葉しか返せないだろう。

社会の様々な事柄について、常に自分の考えをしっかり持ち、それを言葉に出来る人になりたい。これは高校生くらいの時から思っていた。

文章を書くこと、自分の意見を発信することなんて最近は殆ど無くなった。Twitterはもう開いてもいないし、facebookやInstagramは友人他人の幸せそうな写真を一通り眺め、親指でイイネを押すだけ。
今、facebookにいきなり自分の考えや出来事を投稿すれば、翌日には会社で
“どうしたんですか?なんかあったんですか?”
と不審がられるに決まっている。
それに、こういう本音の文章を知人に読まれるのはやはり抵抗がある。

だからこのnoteを使って、自分自身に、画面の向こうの見ず知らずの誰かに、
自分のこと・自分の興味のあることを少し発信してみたいと思った。

普段、会社の人間や、友人とは共有しないような話題を誰かと共有して、
すっかり停滞している自分の思考力、文章力を
鍛えることが理想である。

少しカッコつけた理由を述べたが、
要するに今の僕は、自分自身と向き合いたい。
そういう気分なのだろう。

熱しやすく冷めやすい性格なので、
この投稿もしくは次の次の投稿辺りが最終更新になるパターンも十分にあり得るが。

何事も、まずは始めてみる ということで。

写真は3日前の井の頭公園。

#コラム #自己満足 #日記

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