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保健室の先生の励まし③

20年程前、娘が小学5年生の時に、あわや登校拒否か、という事がありました。
ある朝、ランドセルを背負って登校の準備はすでに整っているのに、洗面所から動く気配がありません。鏡の前で、何度も前髪を撫でるように触っていました。これは何かあったのかもと思い、娘を居間に呼んで椅子に掛けさせました。
「学校に行きたくないの?」と聞くと、心ここにあらずという様子で、無言のままでした。
「どうしたの、誰かにいじめられたの?」
「誰も話しをしてくれない」とようやく口を開きました。
私は、自分の小学生時代の辛い記憶が一気に蘇り『ついにこの日がやって来た』と心配をするような、やる気が出たような複雑な気持ちになりました。
私は確固たる自信を持っていました。それは子供の頃から、将来自分の子供が辛い状況になったら、保健室の先生に励まされた、あの言葉で立ち直らせよう。と小学生ながらも強く心に決めていたからです。潜在意識に深く刻まれていたのだと思います。

「誰も話しをしてくれなくても、遊んでくれなくても堂々として、私は平気、という顔をしていなさい。弱々しく下を向いて、びくびくしていると、益々誰も話しをしてくれないから、貴女は強いから大丈夫、いじめる人は可愛いそうな人だから」と娘を励ましました。何十年も前のあの日の保健室の先生のように。
『これはお母さんのお守りです』と書いた小さい紙を見せて、更に小さく折り畳んで筆箱の中に忍ばせてあげると、明るい表情に変わりました。幸い小学校が近い事もあり、焦らずゆっくり話して聞かせる事が出来ました。
登校する娘の背中を見送りながら、無事に学校に行ってくれた、遅刻をしないで良かったと安堵しました。
娘が帰るいつもの時間に、玄関の引き戸がガラガラーと勢いよく開き、開口一番に「おかーさーん。友達が話しをしてくれた」と台所の奥で家事をしている私に聞こえるように、大きな元気な声で言いました。拍子抜けするぐらいのスピードで問題が解決しました。
早期発見、早期対処が功を奏し私の辛い経験が生かされた、と確信した出来事でした。

そして忘れてはならない、保健室の先生とのご縁があります。
私の初月給で弟と1学年下の従姉妹に、夕食のご馳走をするためにレストランへ連れ出した日の事です。
同じ場所で、その保健室の先生と小学生の娘さんが食事をされていました。先生の優しい笑顔は何も変わらず心が和みました。少し事情を話しただけで、私たちは先生のテーブルから10メートル位離れた席に腰掛けました。
食事をしている途中で、注文をしていない筈のジュースを3人分ウエイターの方が持って来られました。
怪訝な顔の私に向かって「あちらの方からです」と言われました。
それは、久し振りに偶然に会った保健室の先生からのプレゼントでした。先生の方を向いて、小さな声でで「ありがとうございます」と言うと、微笑んで頷かれたのです。社会人になった私の方が、あの日に保健室で勇気を頂いたお礼をするべきだったのではと、今更ながら思っています。試練を乗り越えた先には、成長した自分がいると諭して下さったのだと、あれから50年以上経っても忘れずに感謝しています。

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昨夜、次男が撮影したばかりの中秋の名月の写真を、追悼の文章に添えて良いから。と送信してくれました。

心からご冥福をお祈りいたします。


             完

※こちらの記事は『保健室の先生の励まし③』ですが、これに過去記事の①、②を足し加筆修正をして『保健室の先生の励まし総集編』と別の記事に致しました。

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