奄美のユタ神様に会う 伝統的スピリチュアル②(先祖を想う)
奄美に引っ越してどれくらい経った頃か、はっきりと覚えていない。晴れたある日の午前中に、お供えの塩、お酒、気持ちばかりの現金を携えて、ユタ神様の自宅へ歩いて向かった。空は青く、手を伸ばせば届きそうな天が近くにあった。
歩いて10分も経たない内に、玄関の前に立ち、そこの引き戸の上部を見上げて、丸い鏡が飾ってある事に気付き『これは意味があるに違いない』と思った。それ以外は、一般住宅とさほど変わり無い佇まいであった。
「ごめんください」
「はーい、どうぞ」
引き戸をガラガラと開けて
「予約をしていた者ですが」
「2階へどうぞ」と直ぐに言われたので、一人で上がって行った。
6畳間程の和室に立派な祭壇があり、白装束の老人が正座をして、私を待って居られた。
「今日は宜しくお願いします」簡単な挨拶をするや否や「あんたはいい人だ、いい人だ、神高い」突然の言葉に面食らったが、褒められて良い気分になり少し緊張が解れた。
それからお供え物を丁寧に置くと、
「あ、この酒じゃないんだよ、これを持って来る人が多いんだよ」
「そうなんですか、すみません」
近くのコンビニで買った日本酒の3合瓶は、時間をかけて吟味したのに、ものの10秒も経たない内に撃沈した。
「これと代えてあげるから」と3合瓶の「朝日」という黒糖焼酎に代えて頂いた。間違う人が多いため、予め備えてあるのかもしれない。塩については何も注意がなかったので安堵した。
祭壇の1段目の中央に蝋燭が1本立てられ、その右隣りには半紙が一枚、何かに取り付けて、薄いまま縦に立つようにして置かれていた。その蝋燭と半紙の間に「朝日」が置かれて、塩はユタ神様が袋を破ってサーッと皿に盛り、蝋燭の左横に置かれた。どうやら準備が整ったようである。
「あんたは看護婦ね、内地から来たの?」
「いえ、看護婦ではありません。夫の転勤で引っ越してきました」
「そうね、内地からよく看護婦が来るよ」
そう言ってから、家族の氏名と生年月日を尋ねてメモを取った後に、蝋燭に火を灯し祭壇に向かって暫く拝まれた。その後私の方を向いて、夫から順番にみてくださった。覚えている事といえば、夫の定年後の仕事の事である。「塾講師の話があるんですが‥」
「脳を使い過ぎると病気になる、今と同じような仕事がいい」
「そうですか、有難うございます」そして、祭壇の1段目の薄い半紙を指差して「これを見なさい」
蝋燭の火が透き通った焼酎瓶を照らし、その近辺がオレンジ色の光に包まれ、更に半紙がスクリーンの役目を担い、そこに何か影のような物が映し出されていた。
その半紙を見ながら「あんたのご先祖に神様が居られたね、この影は袴をはいている」突然の言葉に驚愕し、考える余裕もなく「いえ、聞いた事がありません」咄嗟に答えた。
近眼の目を近づけて「あ、坂本龍馬みたいですね」すると、真顔で首を横に振り否定された。坂本龍馬のよく見かける写真のポーズにそっくりで、人の形がずっと保たれている不思議な影だった。一般的には、形の定まらない影が多いらしい。「光も明るい色だね、暗い色をしている人もいるよ」オレンジ色の光はパワーがあるが、暗めの青い光は、何かが憑依していたり病気だったりするらしい。
子供達3人ついては、
娘は腰が痛い(身重だった)
次男は胸が広くどっしりしている(確かに鳩胸である)
長男は活発である(全くその通り)
それにしても、いい人と言われたのは私だけ‥‥
他の4人の中に、いい人はいないのだろうか、少し残念だっが、至って普通なのだろうと頭を切り換えた。
「これは宗教ではない、太陽、山、海等の自然の神様に感謝する‥‥」等と色々ご教示頂いたのだが、徐々に島の方言(島言葉)が入り混じり、全ての話を理解できていない。かなり長い時間話してくださったのに、勿体ない事をした。恐らく時間オーバーだったと思う。
そうこうしていると、後ろで人の気配を感じたので振り向くと、次の方が部屋の角で正座をして待って居られた。それでもまだ話しが続き、次の方の時間になっているのでは、と少し気になった。
ようやく終わりに近づき、お供えした焼酎と塩を私に持たせる準備をしてくださった。『まぁ、頂けるとは、お供えにならないのでは』と思いながらも嬉しかった。その準備中の合間に好奇心旺盛な私は、また後ろを振り向いて「どちらからですか?」
「東京です」
「そうですか、こちらのユタ神様をどちらでお知りになったのですか?」
歌手のさだまさし似の紳士が「高名な方ですから」と答えくださったが、いちいち煩わしかったかも知れない。元来お喋りであるから、ついつい質問をしてしまって申し訳無かったと、今になって反省している。
正に夫が言った通り、全国からお悩み相談に来られている事実を目の当たりにした日であった。
noteに認めながら、有難い話を久し振りに思い出だし、貴重な経験に改めて感謝をしている。それにしても私の先祖は、袴をはいた神様だったのだろうか。
実家の墓地には、400年近く前の五輪塔で高さ180㎝の墓2基(命日、氏名らしき物と其々に父、母と記されている)があり、本家で墓守りがなされている。地元の市史に、残存する古い墓の中で最も「壮大」な物であると記されている。
その墓の存在は知っていたが、祖先の墓だと知ったのは、つい数年前の事であった。それから初めて線香を手向けた日に「今日私がこうして、ここに存在しているのは、ご先祖様がいらしたからです。本当に有難うございます」と合掌すると、自然に右目から一筋の涙が頬をつたった。
令和3年10月25日(月曜日)撮影
父が生前、先祖は公家であったと言っていた。大東亜戦争(太平洋戦争)で3軒あった屋敷が焼かれ、巻物に書かれた系図も焼失したが、本家には銅鏡が残っている。しかし神様がいたという話は、一度も聞いた事がない。
母方も市史に出ていて、江戸時代は役人だったようで、戸籍を見ると母を含め6代前までの名前が記されている。私にとっての高祖父は、西南の役に敗れ「ふんどし一丁で帰還した人」と亡き母によく聞かされていた。母は霊感のある人だったので、先祖に神様がいたとするならばこちらかもしれない。と想像を膨らませている。
「神高い」「先祖に神様が」と言われたが、ユタ神様の言われる神様の定義がよく分からない。出来れば地元の人に島言葉の通訳をしてもらい、もう一度詳しく聞いてみたい。
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