これもひとつの臨死体験

1992年にわたしが体験したふしぎな世界の記録

1月29日の夜明け前だった。
眠っている間に臨死体験のような体外離脱を体験した、わたしの魂が行った場所は、
永遠と光り輝くばかりの、境界線のないまばゆい世界でした。

そこに突然現れたものは、仰向けに横たわり宙に浮いている、わたし(肉体をまとった霊体「以下、体と表記」)でした。

わたしが、わたしを見ている状態で、意識は見ている側のわたしにだけありました。

3次元的な時間になおすと、だいたい3秒ほどその光景を見つめていたでしょうか、
すると、宙に浮いているそのわたしの体を包み込むような、おおきくてやわらかな、なにか別の波動がそこに在ることを感じました。

光の世界のなかで、さらに光のベールをまとうその存在は、ちょうど抱き上げるようなかっこうでわたしの体とともにわたしの意識の前に現れました。

わたしはそこで見ているものが自分の体でありながら、光の存在に大切に扱われ愛されているわたしに嫉妬を感じました。
その光の存在は、わたしですらそこにいる自分に感じたことのない愛で、抜け殻となっているわたしのそのからだをいまも昔もいつくしんでいるようでした。

宙に浮いているだけで意識のないわたしの体はとても無力で、なんの抵抗力もありません。いままでわたしの意識は、思うがままにこの体を扱い、気に入らないと責め、文句を言ってきたことを思い出すと、こんどはそこにいるわたしの入れ物がかわいそうになりました。

わたしの意識以外に、わたしの心とからだを痛めつけるものは存在しないのです。

それに気づいた瞬間、いま見ていたわたしの体もべつの光の存在も姿をなくし、今度は仏陀の光(波動)がわたしの意識とともに在るのを感じました。(おそらくこのとき再び次元(場面)が変わった)
その仏陀の導かれるようにしてわたしたちは光の世界を上へ上へと上昇しはじめました。
しばらくすると、仏陀の光はわたしをあるところまで連れてきたことを見届けたかのようにそこで留まりました。
わたしの意識だけがまだ吸い込まれるように上へ上へ上昇していきます。

仏陀はもっとずっと高次元に現れることが可能なのに、危険をおかしてまであえてわたしのような人間のために次元を降下して救済してくださったのだとわかりました。そしてそれこそが仏陀ご自身の慈悲の体現であり魂の役割であるということを知りました。
(辺りは光だけです。
光は光ととけあい、断絶がありません。
ただ、ワット数に違いがあるようなものですべてはひとつにとけあっています。)

3次元的に言ったらほんの5~6秒ほどでしょうか、どこへ向かっているのかここがどこなのかわからないまま、わたしの意識は光の世界をまるで上りのエレベーターで進むように昇っていきました。
その間、なんともすばらしい愛に満ち満ちた光悦感と、これ以上ないほどのうっとりする幸福感に気を失いそうでした。

すると、突然ここはイエスの光(波動)の中だ、ということを無言のうちに知らされました。
そして、この光の世界の天頂には、キリストとか神とか呼ばれている唯一の源があることを予感させました。
その世界の光は愛という波動そのものでした。

わたしの意識は至福に包まれ充満する愛に溶かされてしまいそうでした。
ここにずっといたい、ここから帰りたくない、そんなふうに感じていました。けれども、これ以上その圧倒的な愛というものに浸透され、わたしの個である意識を保つことのできない瞬間が来たのでしょう、
天頂からテレパシーが送られ、同時にわたしの意識は肉体と共に目を覚ましました。


神(光)は一言

「ユルシナサイ」

と仰いました。


「わたしは光であり道である」というイエスの言葉が、文字通りほんとうだったことに後に驚きました。


現実の世界で目を覚ましても、いまの今まで受け取っていた愛にしばらく放心状態でした。
それでも、そのメッセージを意訳してみるとこうでした。


「わたし(神)があなたをこれほど愛し、ゆるすように、

あなたもあなたを愛し、ゆるしなさい。」


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