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泥舟

まだ沈んでもいないTwitterをそう呼ぶのはよくないかもしれないけど、まぁ泥舟に乗っているような気分ではある。

前にも書いたけど、私の主戦場はTwitterで、noteに来る前はほとんどTwitterにいた。
情報を得るのも、発信するのも、すべてTwitter。
いまも本の情報がほしいときと地震のときは真っ先にTwitterを開く。
ただすこし頻度は落ちた。

Instagramもアカウントを持っていて、キラキラな場所に行った時だけ投稿する。
その更新は2年前で止まっている。
今回のTwitterの騒動でthreadをインストールしてみたけど、TwitterのフォロワーとInstagramのフォロワーが被っていないし、threadのタイムラインがまったく使いものにならないので、仮にTwitterが沈んでしまったらもう新しいSNSは要らないかな、という気持ちもある。

Twitterには良さも酷さもあるけれど、私はTwitterの空気がとても好きだし居心地がいい。
そこでしか繋がっていない人と、ある時ふっと線が切れてしまう可能性を考えると、惜しいなどという言葉では言い表せない喪失感がある。
でも、threadが移住先になりうるかというと、それも違う。
Twitterだから成り立つコミュニケーションがある。
コミュニティが失われたら、そう簡単には再構築できないだろう。

ネットでは人と人が簡単に繋がれる。
家に黒電話しかなかった頃のことを思えば、恐ろしいくらいにハードルが低い。
でも、ハードルが低いからといって、得た繋がりの価値まで低いわけではない。
出会い方が違うだけで、同じ一期一会である。
ひとりの人のやりようによって、それがいとも簡単に壊されてしまうことに虚しさがある。

今回のthreadの急な広がりは、ひと頃のclubhouseを見ているようだ。
だとしたら、この波では泥舟は沈まないかもしれない。
ただ、舟自体が崩れてしまう危険はいつもある。
そのときどうするのか。
未来の可能性をあまり期待していない。
失われてしまったらそれっきりだろうと思う。

少し厭世的なのは疲れているからかな。
そういうことにしておく。

読んでくださってありがとうございます。よろしければコメントもお気軽にお願いいたします。