すべてわたしの舟【エッセイ】
いろんなことがうまくいってない感じがしてる。けれど、なんとか前には進んでる。うまくいかなくても、前に進めてしまうのは、ほっとしつつも居心地が悪い。座ったお尻に違和感があって、ポケットにいつのか分からないキャンディがあったときみたいだ。しかもそれはシュワシュワするあんま好きじゃないやつで、食べるか迷って、きっと食べないけどとりあえず取っておく、みたいにして一日がおわっていく。
誰かにことばで届けたくて、作品の感想を書いたり、手紙を送ったりするけれど、うまく伝えられない感じが最近強くなってる。もっとことばが変われば伝わるのかな。もっともっと遡って直してしまいたくなって、ふいに昔あったことを思い出してはますます夜に埋まっていく。
でも、そうして埋まっていった夜のまんなかで、何もかも伝わってしまわなくてよかったと、ちょっとほっとしている自分がいることに気づいたりもする。だって、どうにかなってしまいそうなほど感動したり嬉しかったりしたんだから、その気持ちのゆれたのをちゃんと自分だけのものとして仕舞っておきたくもなるし、「ことばでは伝えきれない」「じぶんの手には負えなかった」、そう思いたい気持ちもちゃっかり鎮座してるのである。まったく困ったもんである。
◇
忘れられない小説『二〇〇二年のスローボート』の一節に、「彼女も橋を焼いて生きてきた。」ということばがあって、ことあるごとにその一節を思い出しては救われてきた気がする。でも、今は、息が詰まる心地がしてしまう。その小説をわたしに教えてくれた友だちとも連絡がつかなくなっていて、そうなったのも思えばわたしが「傲慢だった」(これも大好きな漫画『違国日記』のセリフからだ。)からだと分かるのに、今からはもう取り返しもつきそうにもない。
急げ 急げ
全てが変わる
全てが変わる
急げ 急げ
社会が変わる
世界が変わる
急げ 急げ
急げ 急げ
急げ 急げ
僕らも変わる 僕らも変わっていく
ーーbutaji『中央線』
……なんだか今日はぐちゃぐちゃだ。でも、わたしのぐちゃぐちゃなんて関係なく、butajiさんの『中央線』はほんとうに素晴らしい。
なんていうか、すごい表現というか作品の忘れられない部分は、わたしを慰めたり突き刺したりとほんとうに容赦がなくて。でも、そうなるたびに、かろうじて繋ぎとめられてきた何かがあるのを感じるから、まだ、進めているんだとも思う。
これからも、減ることは増えていく。家族といても、友だちと話しても、なんだかずっとひとりな気持ちが消えなくて、でもそれはたぶん正しいことだとも思う。この、誰といても、誰といなくても、ひとりなんだってこの感じを、もう少しでも早く感じられていたら、焼かずに済んだはずの橋もきっとたくさんあったはずなのに……あーあ!まったくもう!
……それにしても、ほんとにことばって舟みたいだ。こんなにぐちゃぐちゃでも、やっぱり「わたし」が乗っている。