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救急車を呼んだ話

少し前にこちらのpostがバズっていた。


私は他人のために救急車を呼んだこともあるし、自分のために呼んだこともある。
その、自分のときのことを書いてみようと思う。
後々の誰かの役に立てば、というほどの話ではないので、気軽な気持ちで読んでください。

もう30年以上前の話。
上の子を妊娠中で、たぶん15週とかその頃。
ある夜、何の前触れもきっかけもなく、急に右下腹部が痛くなった。
そんなに強い痛みじゃないけど、普通と違うかも、みたいな予感がした。

虫垂はかなり昔に切除したので虫垂炎はまず違う。
お腹の張りはなかったし、出血やその他の異常もなかったので、子宮まわりのことでもなさそう。
とすると、卵巣だなぁ、とぼんやり当たりをつけた。
右の卵巣嚢腫を持っていて、ずっと経過観察していたのだけど、妊娠とともに捻転するのに絶妙な大きさになることがある、と主治医から聞いていたので、これがそうかしら?とこのときはまだ鈍痛ということもあり、ほんとうに茎捻転だったらイヤだなぁ、とうっすらと頭に浮かんだくらいだった。

夫は出張していて家におらず、すぐ帰れる距離でもない。
ケータイはまだ普及する前だった。
私の実家も新幹線の距離。
たいしたことないかもしれない。
でも、万が一お腹の子どもに何かあったら取り返しがつかない。
迷いつつ、他に頼れる人もいないので、自転車で5分のところに住んでいた義母に電話をした。

「お義母さん、夜分にすみません、ちょっとお腹が痛いので来ていただけないでしょうか」

義母は慌てて飛んできてくれたのだけど、たった5分待っている間に痛みが急激に強くなってきて、義母が到着したときには口が聞けない、1ミリも動けないくらいになっていた。

呻吟してうずくまる私を見て義母も動転していた。
「あー、救急車、救急車」
電話の子機をつかんで、うわ言のように119番、119番と言っている。

人の動転してるさまを見ると、こちらは逆に冷静になれたりする。
あー慌てちゃってるなぁ、義母にはここの住所はわからないだろうし、自分で救急車呼ぼう、と義母から子機を受け取ろうとして義母の手を見てみると。

握りしめられていたのは、子機ではなくて、テレビのリモコンだった。
どちらも黒くて、同じような大きさと形で、たまたまテーブルに並べて置いてあったので、間違えたのだ。
でも、間違えに気づかないほど義母は慌てていた。
テレビのリモコンを手にしながら
「119番って何番だっけ?119番って何番だっけ?」
とずっと繰り返している。
生まれて初めて「うわごとのように繰り返す」という本の描写は現実にあるんだということを目撃していた。

自分で呼びつけておいて本当に申し訳ないことだけど、激痛に身を捩りながら笑えてしかたなかった。

119番って何番ってなに?
119番は119番だよ。
そのまま「1、1、9」と押したらいいんだよ。
それはリモコンだけども。

義母のフォローをしておくと、お腹の子どもが彼女にとって待望の初孫で、その子に何かあったら、と思うと心配で矢も盾もたまらない気持ちだったと思う。
頭の中は、嫁はともかく「孫ちゃんがどうにかなったらどうしよう」ということでいっぱいで、余裕はまったくなかったのだろう。
(フォローじゃなく、逆に辛らつになってしまった)
義母の慌てっぷりを見たことで、逆に頭のどこかが妙に冴えて、激痛にのたうつ自分と、激痛以外のことを冷静に観察する自分がいて。
このときの痛みはもう「痛かった」ということしか覚えていないけど、情景は細部までいまでもよく覚えている。

そんなわけで、義母は電話のかけ方が思い出せないようだったので、
「お義母さん、ここの住所わからないでしょうから、自分でかけますね」
とさりげなくリモコンを受け取り、子機と取り換えて自ら119番した。

入院するかも、と一瞬よぎったけど、激痛で入院の用意などできず、義母もあわあわしていて当てにならず。
お財布と保険証と母子手帳だけ持った。

さて、救急車でかかりつけの病院に着き、ストレッチャーからベッドに移される時。
「じゃ、いちにのさんで」と誰かが音頭をとって、「いち、にの、さん」とベッドにわりとドシンと強めに降ろされたときに、フッと痛みが消えた。
痛みの元が跡形もなく消えてなくなっていた。
あ、解けた、と思った。
たぶん、ドスンとなった拍子にうまい具合にねじれた所が解けたのだと思う。
先生も私の表情を見て、わかったのだろう。
鷹揚にエコーの機械を持ってきて丁寧に診てくれたけど、「なんともないねぇ」とニコニコしていた。

状況から判断するしかないけど、と説明されたところによると、やっぱり一度は卵巣嚢腫の茎捻転を起こし、ベッドに移った衝撃で解けたのではないか、ということだった。
「心配なら入院してもいいけど、帰っても大丈夫」と言われそのまま帰宅した。

義母はその間ずっと付き添ってくれて、
「会計、私がしようか?…あ、お財布持ってきてない!」と最後まで笑かしてくれたけど、ともかくその存在は有難かった。
なので、いまも救急車を呼んだことを自分の手柄のように話す義母を訂正したりはせず、「あのときはありがとうございます」と付け加えることも忘れない。たとえ我を失っていたとはいっても、やはり一人で救急車に乗るよりは誰かがそばにいてくれたほうが心強かったのだった。

以上が私の救急車顛末記。
ひとは慌てるととんでもないことをしてしまうし、慌てていることにさえ気づけない。
ま、いまは家に電話がない人も多いだろうし、スマホの緊急発信を覚えておくだけでもいいかもしれないね。
引用のpostもそうだけど、普段から少し心に留めておくと、いざというときに動けるのではないかと思う。




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