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オーケストラの「花形」それは・・・オーボエ!

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。《たまに指揮者》の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は9月24日、25日に開催される「第1回・すみだクラシックの扉」から、演奏会でフィーチャーされる「オーボエ」についてのよもやま話。今回は作曲家の膨大な情報をお伝えするスタイルではなく、公演プログラムノートではなかなか触れることができないようなライトな内容となっております。オーボエとオーボエ奏者のあれこれを知ることで、オーケストラ鑑賞がもっと楽しくなるかもしれません!

オーケストラという「社会」は実に多くの個性的なメンバーによって構成されていることは想像に難くないだろう。そのオーケストラを形作る様々な「楽器」はそれぞれに違った個性を持ち、それぞれが置かれた場所で美しく咲く。

その「一隅を照らす」楽器たちの中で、一際光り輝く楽器がある。それは楽器というよりも「貴金属」的な輝きを放つフルート・・・ではなく、その隣で演奏している一見地味な木管楽器、オーボエだ。


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オーボエ(イラスト)


オーケストラの演奏会、楽団員がステージに入場し、コンサートマスターが機を見て立ち上がり、オーボエ奏者に目で合図を送る。それを受けてオーボエ奏者は「A」つまり「ラ」の音を吹き、その後オーケストラがチューニングを始めるのがオーケストラの演奏会で曲が始まる前、指揮者が入場する直前に行われる恒例の風景だ。このチューニングもオーケストラによって流儀が異なり、管楽器が先にチューニングして弦楽器がチューニングするオーケストラもあればその逆もある。その違いを楽しむのもオーケストラ鑑賞の隠れた楽しみにもなる。

みなさんは「なぜオーケストラのチューニングのきっかけはオーボエなのか」と疑問に思ったことはないだろうか。僕も中高生の時分にその疑問を抱いたのだが、それには諸説あるようだ。

まずは楽器の特性上の問題。オーボエは安定した音を長い時間吹くことができ、なおかつ音が通る。ゆえに他の楽器ではなくオーボエが適しているという説。これは説としては説得力もある。歴史的な要因を唱える説もある。それはオーケストラに初めて加わった楽器がオーボエだったという説。一見説得力がありそうだが、他の木管楽器だってそれなりに歴史が古い。どちらにしても、現在まで受け継がれるオーケストラ演奏の歴史の中でオーボエがチューニングすることが最も合理的なものと受容されたのであろう。そして長い歴史の中でその役席をオーボエから奪った楽器は未だない。

とはいえ「オーボエ開始」の原則から外れる場合もある。それは弦楽器だけ、もしくは弦楽器と金管とか、弦楽器と打楽器という編成の時だ。その場合はコンサートマスターのAの音がチューニングの基準となる。木管楽器が編成にはあるがオーボエが編成にない曲も稀にある。その場合はフルートやクラリネットがその役を任ぜられる。アマチュアのオーケストラの練習でオーボエ奏者が遅刻、もしくは欠席した場合にもそのような場面に出くわすが、オーボエに慣れた耳では些か違和感を感じるものである。オーケストラのオーボエ奏者は遅刻や欠席も他の演奏家以上に許されないシビアなパートだ。

またピアノ協奏曲の前のチューニングでは、コンサートマスターがピアノの音を鳴らし、それにオーボエがチューニングする場面を見ることができる。たった1音とはいえ、ソロでピアノを弾き、しかもそのピアノがスタインウエイなどの銘器というのもなかなか気持ちがいいものだろうな、と常日頃密かに羨ましく聞いている。

話題をオーボエに戻すが、百戦錬磨のオーケストラ奏者の中で、「ソロ」でチューニングの音を出すというのは、想像以上に緊張もするだろう。100人の目と耳、つまり200個の「肥えた」プロ奏者たちの目と耳がオーボエのAに向けられるのだから。演奏会の聴衆、仮にトリフォニーホールを例に取れば満席で1801席、つまり4000近い目と耳がオーボエ奏者に向けられるのだ。その気持ちを直接オーボエ奏者に聞いたことはないし、あくまで噂の範囲を出ないがチューニング用に良いリードをキープして、チューニングが終わるとそれをしまい、次に良いリードを用意するという、嘘なのか本当なのか分からない噂を聞いたことがある。個人的には、演奏会の曲をベストのリードで演奏することの方が大切だと思うので、そのような噂はオーボエ奏者のチューニングの大変さを語るためのエピソードとして語られているのではないかと考えている。そのような緊張感の中から発せられるオーボエのA音、奏者によって様々な音色を持つが、どれも美しく引き込まれていくようだ。「自分の好きな音」を見つけるのも、複数のオーケストラを鑑賞する上での大きな楽しみでもあるのだが、それは甲乙つけがたい美しい音色を持っている。

ここで改めて確認しておくが、オーケストラの中のオーボエは決して「チューニング係」ではない。オーケストラの歴史が始まってから今まで生まれた多くの楽曲の中で、重要なパートを担当し魅力的なメロディを奏でることが多い楽器である。有名なところではチャイコフスキーの《白鳥の湖》やベートーヴェンの《英雄》や《運命》、ブラームスやマーラーの交響曲にもオーボエの抒情的な名旋律がある。オペラや管弦楽曲でも多くの名旋律があり、オーケストラの演奏会のなかでオーボエが活躍しない曲はほとんどない。表現の幅も多彩で、甘美なものからシリアスなものまで、愛から悲しみまで全ての感情を存分に歌い上げる。

そのようなオーケストラの中のメインストリームを行くオーボエ奏者には美男美女が多い。これはあくまで個人的な印象ではあるが自分はそう感じている。僕自身オーケストラではメロディ楽器を担当することはなく現在に至っているので、一層魅力的に見えるのかもしれない。事実、小学校から大学までオーケストラ部や吹奏楽部に所属していたが、それらの団体のオーボエ奏者は多くの場合、その団体の中でもより美しい人たちの集まりであったように思う。そして「真面目な人」が多い印象もある。それはオーケストラの中で重責を担うという環境がそうさせるものなのだろうか。不真面目で軽薄な指揮者である僕は練習においてオーボエ奏者の真面目さに助けられることが多い。真面目なだけではなく、他の人が言いにくいことも臆することなく発言する勇気と責任感も併せ持つ。非常に頼もしい存在でもある。

同時に繊細な一面も併せ持つ。それはオーボエという楽器が膨大な数の細かい部品で作られている「精密機器」のようなものであるからかもしれない。もちろん他の木管楽器も複雑な仕組みを持っている。一見同じ楽器に見えるオーボエにも「セミオート」と「フルオート」というメカニック上の違いがある。その違いはオクターブキィの操作の違いによるもので、それぞれに一長一短があるのでどちらが優れているかということは一概に言えないものだ。また運指法にも「フランス式」と「ドイツ式」がある。一般的には「コンセルヴァトワール式」と言われるフランス式が多く採用されているが、ウィーンフィルなどが演奏する楽器は「ドイツ式」だ。

複雑な楽器だからなのか、海外のオーボエ奏者には複雑な名前が多い。「ハンスイェルク・シェレンベレガー」とか「トーマス・インデアミューレ」など舌を噛みそうな名前の奏者がいる。だがしかし「コッホ」とか「マイヤー」とか「ケリー」といった普通の名前も多いので、それは単なる偏見かもしれない。日本人奏者でも「フルベさん」「アサマさん」「モリさん」など一般的なお名前が多い。余談だが高校の後輩に「フルト」君というオーボエ吹きがいた。フルト(フルート)なのにオーボエ?と揶揄われていたのを思い出すが、彼は今でもオーボエを社会人吹奏楽団で演奏し続けている。

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オーボエのリード


オーボエは「リード」という葦で作られている振動体に息を入れて震わせることで音を出す「リード楽器」である。オーボエの場合は2枚のリードを重ね合わせたリードで音を出す「ダブルリード」の楽器だ。雅楽の楽器「篳篥(ひちりき)」もダブルリードの木管楽器であり、近衛秀麿が近代オーケストラのために編曲した「越天楽」において、オーボエは篳篥のパートを担った。そのオーボエの命ともいえるリードを多くのオーボエ奏者は自作する。小刀で削り微妙な調整をし、リードを何本も作る。まさに「職人」である。同じダブルリードのファゴット奏者も同様であるが、なんとなく性格の違いがあるのは不思議である。楽曲で担当する場面が異なるからであろうか。


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篳篥の上部。ダブルリードになっている


複雑な楽器の機構、リード作りの繊細な職人技、そしてオーケストラ内での存在の大きさ・・・これらの要素がオーボエ奏者の人格形成に何か影響を及ぼしているのであろうか。そのような特徴からか「機械いじり」や「手作業」が得意な人が多い印象がある。また音楽以外の分野でも造詣が深い玄人はだしの趣味や特技を持つ人も多いのだが、それに関しては全てのオーケストラの楽器、音楽家に言えることである。

オーボエという楽器名の由来は「高い木」。「高音を担当する木管楽器」というのがその意味するところであるが、楽器自体の価格も「高い」。

これもまた「都市伝説」であるが、オーボエ奏者とホルン奏者は短命だと聞いたことがある。理由はそれらの楽器奏法が血管に悪影響を及ぼすとか、血管が切れやすくなるとかという類のものである。加えてプレッシャーのかかるポジションであるので、ストレスで体調を崩すのだという人もいるが、どちらも真実ではないように感じているし、実際長命な人は多い。またそれらの楽器の人は禿げる、という都市伝説もあるがこれもまた「完全なガセネタ」である。オーケストラの中でオイシイ立場のオーボエ奏者たちに対する嫉妬心からの悪意あるジョークだと考えている。

このように複雑な機械を操作し、繊細で地道な作業を得意とし、なおかつ音楽的役割の大きいオーボエ奏者は人間的にも人格者で、頭のいい人でないと務まらないのではないかと常々思っている。それが理由かはわからないが、オーボエ奏者には指揮者に転向する人も多く、アマチュア団体の指揮で実績と評価のある現役奏者が多い。今回共演が叶わなかったハインツ・ホリガーも世界を代表するオーボエ奏者であるし、前出のシェレンベルガーも指揮者として活躍している。一般的にはオーケストラの楽器の中で「出番の少ない」楽器や「伴奏で支える楽器」出身の指揮者が多いとされているが、統計を取れば各楽器の比率はほぼ同じだと思う。とはいえ、オーボエ出身の指揮者は多く、日本人では宮本文昭さん、茂木大輔さん、延原武春さんなどはオーボエ奏者としても高名な指揮者として知られている。海外ではルドルフ・ケンぺ、エド・デ・ワールト、ヘルムート・ヴィンシャーマンなどがオーボエ奏者であった。

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ルドルフ・ケンぺ

僕としては楽器が上手なら楽器を演奏してくれたらありがたいし、作曲ができるなら作曲だけをしてくれたらありがたいと思ったこともあった。自嘲的に言えば指揮者は他がうまくいかなくて指揮者をしているのであるから、そのような「ある分野の一流」が参入してくるのは厳しいものがあるというのが僕の勝手な言い分だ。だが今ではオーケストラ音楽とクラシック音楽の発展にはそのような多くの演奏家が指揮台に上がることは大いに歓迎されるべきだろうし、またそのような状況の中で指揮者はその存在意義を示していかなくてはいけないのであろう。

「三流」という言葉は今ではマイナスイメージに使用されることが多いが、本来は「三つ以上の多くのことができる人」を指しているという。一つのことに長けている人を「一流」、二つのことに長けている人を「二流」というのが本来の使い方らしい。その点において、多くのことができる「三流」の人材はこれからもっと必要とされてくるのかもしれない。

今度足を運ぶ演奏会では、チューニングの時から最後の一音までオーボエ奏者に注目して演奏会を楽しんでみてはいかがだろう。「推しオーボエ」を見つけ、密かに応援するのも大きな楽しみとなるのではないだろうか。

(文・岡田友弘)


岡田友弘2.jpg 写真:井村重人


岡田友弘
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻卒業。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆も行っている。日本リヒャルト・シュトラウス協会会員。英国レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッスン&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。

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