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友人の倫太郎

友人の倫太郎と会ったのは私が19歳で浪人後、カナダに留学した時
当時アパレル会社で働いていた久志から

『そんなに洋服が好きなら、日本帰ったらアパレルで働けば良いじゃん!?』

そんな一言で、大阪のアメ村にあった海外のインポート商品のセレクトショップで働き始めた私。

アパレルで販売経験も無い私はとにかくそのお店で苦戦していた。
カナダに行く前は浪人後、大学受験に見事失敗。
漬物会社に就職が決まり、営業事務という職種に就き
昼間はゴルフ場や食堂のおじさん相手に漬物を売りまくっていた。
夜は北新地でアルバイトしていたので、接客には苦労しなかったが店舗の人間関係にやられていた。

当時はカナダから帰国したばかりなのと、アパレルのことも何一つ知らなかった私に周囲は冷ややかな態度で、結局この店で話してくれるのはスタッフではなく、『お客様』だけだった。

しかもアメリカ村のお店で就職してしまい、社員が”私”だけで後全員バイト。
10人ほど働いていたが、残り9人がバイト。

ご想像の通り、社員に対する風当たりは非常に厳しかった。

その中でも私と同時期にバイトで入った美人で年も2つ上の”ともちゃん”
また同時期に入ってきたバイトの”浅野”は仲良くしてもらっており、この美人のともちゃん目当てに来ていたのが、倫太郎だったのだ。

『よ!!まいど』 と明石家さんま並みに毎日足繁くお店に通う倫太郎。
何を買うわけでなく、ひたすら"ともちゃん"に話しかける姿を見て、憤りを感じていた。

『ここはナンパの場所じゃ無いんや!はよ帰れや』と毎日心の中で呟いていた。

ある日、みんなが先に休憩に行っている間、店を一人で回していた。
そんな矢先に倫太郎が来た。

『まいどまいど』
『いらっしゃいませ』
『あ。。。。まあ』
『今日はともちゃん休みで、みんなも休憩に行っているのでいませんよ』
『いや、俺は別にともちゃん目当てとかちゃうし』
『何言ってるの?バレバレやねんけど。とにかく今日はおらんから出直して来て』
『出直して来てって。。俺お客やで。それにしてもあんた俺のこと嫌いやろ?』
『嫌いじゃ無いですが、苦手です。』

それが私と倫太郎の初の会話だった。
それから20年もとんでもないことを聞かされることになるとは思いもよらなかったのだ。

当時倫太郎は関西にある超有名大学の大学生で、身長は185センチ 見た目もスッとしたいわゆる”イケメン”の類いであったのだが、とにかく性格が明石家さんまさんとダウンタウンのまっちゃんを足して2で割ったくらい変わっていた。

休みという休みはアジアを一周するほど、旅好きでいろんな体験経験をしては、
うちの店で
タイの話
インドの話
カンボジアの話
あらゆる話をしていた。

そして彼女もいた。 
とんでもないくらいのギャルで超絶美人。
それでも倫太郎は毎日うちの店に通っては一日話しまくって、また来るというルーティンを繰り返していた。

ある日その倫太郎から『コンパ』しないか? と言われて、渋々うちの店舗スタッフと倫太郎の仲間とコンパをやる羽目に。

結局幹事は私と倫太郎。
二人で周りの男女の介抱をしたり、家まで送る段取りを組んだりと。
そんなことを2年過ごしたのち、倫太郎は大手通信企業に就職が決まり、
就職してからは互いに連絡を取らなくなった。

そうやって我々は10代から20代の青春時代を、倫太郎と共にコンパに明け暮れ過ごしていた。

そこから私も店を辞めて、その後神戸で就職。 
東京で大手のセレクトショップのオープンの情報を聞きつけ応募。
見事に受かり、オープンから2ヶ月後阪神淡路大地震に直面。
大阪から東京へ転勤が決まり、東京に引っ越した。

そんな矢先に風の噂で、大手通信企業に勤めていた倫太郎がグループリーダーになり、その後西日本から東日本へ栄転したと。

倫太郎もまた時同じくして、東京に転勤になっていたのだ。

そうやって我々は3年後に東京で出会うことになった。
そこからエリート人生の倫太郎に激動の人生が待っているとは夢にも思わなかった。


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