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塾講師として成長したいあなたへ ①

はじめに ~このコラムの目指すもの~

 こんにちは。予備校講師・受験コンサルタントのシンノです。
 少し古いデータですが、平成30年の経済産業省の「特定サービス産業実態調査」によれば、全国に学習塾は46,734箇所、従業員数は32万人を超えるそうです。冠婚葬祭業の従業員数が11万人、出版業が5万人ということですから、塾は今は非常に規模の大きい産業と言えます。ただ、そんな大きな業界の割には、「塾講師の働き方はどうあるべきか」というような、塾講師の仕事像に対する言説はほとんど聞かれません。
 1つには、一口に学習塾と言っても色々な形態があるから、仕事のあるべき姿が一概には言いにくいということもあるでしょう。例えば、難関中高の受験を目標とする進学塾と、学校の成績が振るわない生徒さんを主対象とした補習塾では、同じ塾講師と言ってもあるべき姿は大きく違うかもしれません。また、塾によって「文化」が大きく違うということも言えます。同じ進学塾でもスパルタ的に生徒を厳しく鍛える塾もあれば、比較的のんびりと生徒を伸ばそうという塾もあります。塾ごとにあるべき講師像というのはあっても、他塾でも同じようには言えないのかもしれません。
 ただ、こういう状況で気になるのは、自塾だけでしか通用しない文化が強くなりすぎていないか、ということです。例えば、私が中学受験の時に通っていた塾では、当時はある御三家中の合格者が一番多かったとても大きな塾でしたけども、どの先生も授業中に私語が多くて集中できない生徒がいたら顔面ビンタが当たり前でした。もうすでに学校での体罰が問題視されている時代でしたが、その塾ではビンタが「文化」の1つだったのです。
 これは極端な例かもしれませんし、体罰を許容する塾なんて今はまず存在しないでしょうが、それでも、他塾から、あるいは社会一般から見れば、おかしな「文化」がはびこっていると思わざるをえない場面は少なくありません。例えばハチマキ。「塾講師をやっている」というと、「ハチマキしめてエイエイオーってやってるの?」と聞かれてしまうくらい、過酷な中高受験の悪い意味での代名詞のようにも言われるものですが、実際のところハチマキを絞める塾なんてそれほどなく、ごく一部の塾の「文化」に過ぎません。ところが、外部から見れば明らかに異様な光景でも、内部にいるとその「文化」が案外誇りだったりもするのです。
 「あるべき塾講師像」もその塾ごとに違う「文化」の1つでいいのだろうか、というのが本稿を書こうと思ったきっかけの1つです。どこの塾でも通用する塾講師像というものがあるなら、そういう塾講師になった方が自分の成長にもつながるはず。せっかく塾講師を職業として選択したのなら、より多くの保護者や生徒に支持される先生になりたい、私はずっとそう思ってきました。同じ思いを抱く先生方が自塾の「文化」だけにとらわれず、これから働いていくうえで少しでもヒントになるお話ができればいいな、というのがこの記事の狙いです。

執筆者のプロフィール

 私は大学1年の4月からある大手塾でアルバイトとして働き始め、その後、大学・大学院、そして院の卒業後も同じ塾で時間講師を続けていました。アルバイトのはずですが、社員が実質0人の教室を運営したり、個別指導の責任者をやったり、集合ゼミ会場の運営責任者もしたり。それから色々あっていい加減その塾をやめようと思い、他の塾や現役生対象の予備校に応募して採用を頂き、いざ「やめます」と言ったら上司から翻意を促され、今度は契約社員として、塾全体の高校受験部門の責任者として働くことになりました。この間、採用を頂いた現役生対象の予備校との掛け持ち勤務は認められていましたので、予備校では授業屋として、塾では運営側の人間として長い間働いていました。河合塾で働く前のことです。
 他の会社の視点を得られたことは、塾の方で運営側として働く際に大いに参考になったと思います。そして授業屋としても運営側としても、自分の裁量の大きいところで働けたことは、塾講師として大きな経験になりました。そんな自分がこれまで経験したことに基づいて、塾講師として働く皆さんのヒントになる話をしたいと思います。
 なお、今回の記事はあくまで塾講師の話。予備校講師とは少し視点の違うことであることはあらかじめご承知おきください。

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