ウイルス騒動の振り返りと今後について

1.はじめに

 いきなり、街の記事ではないのか?という疑念はあるかもしれない。旅行や実際に住んだことで私が感じた街の事、メンタルマップの事を書くアカウントにします。しかし、note開設のきっかけは3年以上続いたコロナ騒動であった。
 今まで面倒で更新していませんでしたが、私の価値観を知ってもらう、5/8より所謂5類となり、規制も大幅に緩和される事から前に進むためにもはじめの記事はこれにしようと考えた次第です。
 まずはこの騒動を振り返り、5類をどう捉えるのかを書き、今後の活動方針を書いていきます。

2.コロナ「騒動」化への道のり

 2019年の終わり頃、中国で謎の肺炎が流行っている事をきっかけに始まった騒動。
 最初は何となくの不安感から始まりましたが「日常」が繰り広げられました。
 しかし2020年になると、様子が一変します。自主休業するお店が出だし、マスク不足のパニック、イベントの中止、そして極めつけは緊急事態宣言でした。
 特に緊急事態宣言は街の様子を一変させた出来事でターミナル駅や繁華街からも人がいなくなりました。
 その後、Gotoトラベルなどで移動需要の喚起策が行われ、徐々に日常回帰するものだと思われましたが、2020年末に再度緊急事態宣言が出されました。まさに地獄が今後も続く事を意味するもので様々な人権侵害が国、企業、個人によって続きました。
 その硬直化した状態が今まで続いてしまうという悪夢を見せられました。
 ここまでの間、御用の専門家が政府の広報やマスメディアによって必要以上にウイルスに対する恐怖心を煽り、国民を誤った方向へ導きました。それによりウイルスそのもの以上に、人の心や生活、経済、健康を壊してしまったことは言うまでもありません。

3.結局、コロナ騒動とは何だったのか

 「人々の不安や恐怖心につけこんだ大規模なパニック 」

これ以上でも以下でもないような気がしますが、特に日本において騒動が長期化してしまいました。原因として、「日本は民主主義国家であるにも関わらず、全体主義を受け入れ、自由主義を排斥したこと」、「少子高齢化という事もあり、未来ある若者の人権を軽視し高齢者などの弱者を守るためという誤ったプロパガンダを受け入れたこと(言うまでもなく若者どころか高齢者も不幸になった騒動)」、「感染対策の象徴であるマスクやワクチンを受け入れる素地が騒動前からある程度あったこと」、「これらの刷り込みにより、マスクやワクチンなどの感染対策懐疑論を排斥し、人をウイルス扱いし公衆衛生の敵と宣う差別主義者が正当化された事」などが挙げられます。
 残念ながら感染対策のパニックの引き金になった専門家達は「感染対策をしようがしまいが感染の波が来る」、「ワクチンはデメリットが上回り深刻な健康被害を起こしてしまっている(ウイルスは制御できないがワクチンは人の意思でコントロールが効くのでより慎重でなければならないという倫理観すらない)」という事実を受け入れず、自由の意味を理解せず、マスクなどの感染対策を「暗に」強要し続けてしまい反省すらしないので総括しろと責めたててもどうしようもないので前を向くしかないような状況です。だからといって一部の議員を除き、多くの議会の人達も彼らによる肥大化したウイルスへの恐怖心を盾に人権侵害を正当化しています。よっていくら客観的事実や人としての倫理観、単に感染対策が辛いという感情を説明しても理解できない人には理解できないのです。きつい言い方ですが、このコロナ観を理解できず、感染対策を強要するような差別的言動をする人は異見でも何でもないと私は思いますので、ここには来ないでください
 まさにハンセン病で無らい県運動を主導した光田医師が死に際までこの運動を正当化したのと似たような構図です。

4.コロナ5類化の意義

 今現在も感染症危機対策庁やアメリカcdcの支部などの設置意向の報道がある事など、不穏な動きが見られます。また、最近流行りの昆虫食やSDGsなど胡散臭いもので溢れかえっています。露宇戦争や中国の動きも心配ですし、日本の政治的な意味での中国化も心配です。
 また、そもそも新型コロナウイルス自体、特にオミクロン株変異後はほぼ風邪のようなもので5類ですら過剰な分類であることは否めません。
 しかし、この国は実質的にアメリカの属国です。アメリカの事情が変わらない限りこの現状は打破は困難です。
 またこの国は法より「空気感」の方が大事な国です。不公平な交通違反取締りなどをとってもそう感じます。
 何より当時を生きていた人は思い出して欲しいのは2009年の新型インフルエンザ騒動です。法的位置付けは当初「新型インフルエンザ」でしたが、5類移行したのは2011年の事です。
 しかし、大騒ぎになったのは最初の頃だけで騒動はすぐ沈静化し、忘れた頃に5類になりました。ほとんどの人は日常を過ごしていました。
つまり、本来は新型コロナウイルスは2類であろうと5類であろうと新型インフルエンザ等感染症であろうと、社会的に騒ぎさえしなければ法的位置付けには意味がないのです。
 ただし、今回の新型コロナは派手に緊急事態宣言(10年前の騒動を踏まえて出せるようにした側面もある)を出すという判断をしてしまい、国民的な大パニックに陥ってしまった。そしてマスメディアは5類化はインフルエンザみたいなもので、規制も緩和できると大々的に喧伝した。
 実際に5類化で完全ではないとは言え、明らかに企業から規制を緩和する動きが出ているので明らかに空気感が変わっているという意味で5類にする意義は大きいです。
 5類は永遠の感染対策化、5類歓迎論者は責任を取れという言説も見ましたが、さすがにそれは逆に不安を煽っているし言い過ぎだと思います。
 繰り返しますが、空気感が支配する国ですから。
 そして、私もこれを区切り(日常から日常と言っている人達は本当に凄いと思う)に色々な事を模索し、はじめたいと考えています。その一つがnoteです。

5.今後の展望

 このコロナ騒動でリモート化が進み、地方衰退に歯止めがかかるという言説も見られました。地方の知事をはじめとして都市部の人間を排斥する言説が平然と罷り通り(それだけが原因ではありません)、東京への集中に歯止めはかかっていません。
 肌感覚的に関西は話題が絶えないとは言え、緩やかな衰退、話題が少ないとはいえ中京は緩やかな発展、そして東京は話題が絶えず出生率は低いが流入人口はかなり多くそこそこ発展するという見立てです。
 今後は大都市に人が集まって住むという現象がどんどん進む、一方で地方は宇宙開発や農地再開拓などベンチャー的な活動をしている所以外は厳しいと感じます。
 そこで、上京を目指し新しい知見を獲得しつつ、趣味でnoteやSNSでの発信をより活発化していければいいなと考えております。
 noteでは新型コロナについて語るのは最初で最後です
 恐らく旅行記や街のイメージ、メンタルマップ的な事を語っていく予定です。
あまり期待はせずお待ちください笑



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