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【ママチャリ旅行】三重県津市から愛知県扶桑町を目指した話ー復路編【カントリーサイン】

 ※2015年1月旅行
往路編は下のリンクから。

◯本編の前に


 今回は津市から扶桑町までママチャリで旅行した話の復路編。
 何度か別媒体で記事を書こうとして頓挫していましたが、今回こそママチャリ旅行記、予定しているもの(これ以外に長距離を移動した2016年、2017年夏の分)はすべて書ききります!
 比較的計画通りだった往路に対し、行き当たりばったりだった復路はちょっとしたトラブルもありました。
なるべく、行きとは違う道で帰る主義で扶桑町を到着地と捉えると、大回りしています。確か運転適正などでマイナスにされるやつですね。
 前置きが長くなりましたが、今回のルートはこんな感じです。岐阜県を経由しています。往路0泊に対し、復路2泊もしています。

水色が往路から続く1日目 緑が2日目 赤が3日目
©️ OpenStreetMap contributors

1.愛知県

往路では長かった愛知県ですが、復路は一瞬です。
扶桑町を探索していたらすっかり日が暮れ、扶桑イオンをぶらぶらし、そのあとそばきり五山で二八そば(10割だったかも)を頂き、ついに扶桑町をあとにします。

そばきり五山とイオンモールの写真がなかったので扶桑町、江南市と岐阜県の位置関係を地図で示した
©️ OpenStreetMap contributors

①江南市

江南市に一瞬入りますが、愛知県はこれで尾張(終わり)です。尾張と終わりをかけたギャグは今は亡き、新喜劇の島木譲二さんがよく使っていたことを思い出しました。

江南市のカントリーサイン

2.岐阜県


木曽川を渡り、いよいよ岐阜県に入ります。岐阜県内で一泊しています。概ね濃尾平野を走りましたが県境付近を中心にアップダウンが激しかった印象です。

尾張大橋を渡り岐阜県へ

①各務原市


 尾久(おく・おぐ)のように読み方が何通りもある地名の一つです。市名は「かかみがはら」と濁点がつかず、駅名は「かがみがはら」と読みます。また、「かがみはら」と言うこともあるそうです。
 市内を東西に走る国道21号を目指しますが、木曽川を渡った後はやや登り坂だった記憶です。
 写真はありませんが航空自衛隊の基地の横も走りました。
 国道21号は車にとっては走りやすい道ですが、バイパス区間や高速道路の入り口付近は自転車にとっては位置関係が非常に分かりにくい状況で走りにくい区間です。

各務原市のカントリーサイン

②羽島郡岐南町

 岐南町は岐大バイパスの高架区間もあり、国道21号名岐バイパスとも交わる交通の要衝。岐阜市であっても不思議ではない場所。東海地方は国道でも高規格な道路が多く、大都市圏でありながら自動車社会である。「大いなる田舎」と言われる所以の一つであろう。
 実は岐南町に入る前に一瞬岐阜市に入っているがカントリーサインは見当たらなかった。高架道路の方にはあるかもしれない。
 岐阜市の南だから岐南町なのだろうか?

岐南町のカントリーサイン

③岐阜市

 岐阜市内の東洋健康ランドで一泊した。旅先でまともに一泊したのはこれが人生で初めてかもしれない。ホテルは予約が必要で時間も決められていて、高いイメージがあるので、こういう健康ランドの存在はありがたかった。
 しかし、24時間営業タイプの健康ランドは数を減らしており、東洋健康ランドも閉業したようだ。
 確か、朝食は吉野家でたべたと思う。
 岐阜市内、2度入っているがカントリーサインは一枚も撮れなかった。

このあたりは六条という地名のようだ。
国道21号に沿って大垣方面へ足を進める
岐阜市街地からは離れて走るがかなりの大通り
市街地の衰退も頷ける
岐阜県庁も岐大バイパス沿いにある

④瑞穂市

 みずほ市、JRの駅は穂積(ほずみ)駅で逆さまによむと「みずほ」になるので地味に紛らわしい。疲れもたまっているが、ここまでくると大垣も目前。

瑞穂市のカントリーサイン

⑤安八郡安八町

 もう大垣だろ、と思わせといて一瞬だけ安八町に入る。

安八町のカントリーサイン

⑥大垣市

 今度こそ大垣市に入る。大垣市は結構ながかった。駅の近くのイオンタウンに立ち寄った。また写真はないけど、ここは鉄道旅行で大垣を通る度にママチャリでここまで来たんだなと思いだす。
 大垣市からさらに西に進むと関ケ原を超える起伏の激しい道路だと予測したのと、そのまま関西に行ってしまうのでここで南に進路を変えた。国道258号、所謂大桑道路に入る。概ね養老鉄道沿線を走る。
 この大桑道路。「だいそう」とも「おおくわ」とも読むが、100均ともスーパーとも関係ない(多分)。

大垣市のカントリーサイン

⑦安八郡輪之内町

 輪中の内側にあるから輪之内町。そのままです。輪中は地理の教科書に出て来るやつですね。木曽三川沿いは水害の多いエリアで堤防で集落をかこっている。
 岐阜ー三重を結ぶエリアは市街化はあまり進んでおらず、今も農地が広がるエリア。鉄道網も南北の養老鉄道しかなく、川に隔てられていて、津島市や一宮市に行く鉄道は皆無で、名古屋市へ鉄道アクセスは不便なところ。また、大垣から桑名にいくのも名古屋経由とあまり時間は変わらない。
輪中で話を広げられたので結構長く書けたが、実は輪之内町を通るのは一瞬。またしてもカントリーサインはない。

輪之内町と書かれている看板
そこまでの住宅密集地はあったか記憶は曖昧

⑧養老郡養老町

 養老の滝で有名な養老。
 国道沿いからはかなり離れている(ママチャリで朝から岐阜市内から来てる人がいうことではない)ため、養老の滝はスル―。

養老町のカントリーサイン 逆光なのはご容赦を

⑨海津市

 ひたすら南へ進む、このあたりから起伏も激しくなってきてきつくなってきた記憶。
 市内のステーキ宮で昼食を食べたがここも今は閉業した模様。
 ここで岐阜県は終わり。あっさりしているが海津市に入った所から桑名中心部まで30キロもある模様。

海津市のカントリーサイン 
桑名までの距離におにぎりまであって情報が多い。

3.三重県ーいよいよ旅の終盤?

 遂に三重県へ。しかし、三重県に入ってからが結構つらかった。

①桑名市ー道に迷う

 いよいよ三重県桑名市だ。しかし、疲れもたまっていたのか、はたまた同じ道を通るのは嫌だと思ったのか、このまま進むと自動車専用道路になると思ったのか、国道258号沿いを進むのをやめた。
 イオンの看板が目につき、イオン桑名ショッピングセンターに立ち寄った。改装で近々イオンモールになるみたいな案内もされていた。「ANQ」という専門店街もありANQも印象に残っている。しかし、写真は一枚も残っていなかった。
 マップ上では国道258号沿いにあるのだが、記憶ではそうだったかな?という感じだ。マップ上にイオンからどうも道に迷ったようだ。
 イオンにそこそこの時間滞在し、かなりペースダウンも目立ってきた。
 丘の上みたいなところにあるイオンを後にし、すぐには国道1号に入らない道を選ぶ。途中で道幅がせまく、信号で渋滞してたところがあったので、急遽経路を変更したのもうっすらと覚えている。
 確か、北勢線の星川駅付近を抜け、どこだどこだと思いながら自転車をこいでいるとみぞれが降っていた。
 基本的に三重県は南北方向に平地が伸びているので陸側をひたすら走ると山にぶつかる。そう思った判断をしたのだろう、とりあえず地図をみて目についたのであろう近鉄富田駅前に向かうことにした。

桑名市のカントリーサイン
坂道だから歩いたのか、すこし路側帯の広い方を選んだのか
右側から撮影されている。トラブルのフラグ?
道幅も狭く、通行量もそこそこ多かったため迷惑をかけてしまった

②四日市市

 いつの間にか四日市市に入っており、近鉄富田駅まで来た。ここからは国道1号などを南下すればいいのだが、みぞれが強くなってきたので、近鉄富田駅前のお好み焼き屋で夕食。この時点で夜でありかなりのペースダウン。
 少しお店の人と自転車の旅をしていることや天気のことを話した。国道258号を大桑道路というのをここで初めて知った。お店の人にも気にかけて頂きながら、店を後にし、更に足を進める。
 このお好み焼き店、現在も「こなもんや オニガシマ」とオーナーと名前を変えて営業しているそうだ。当時の店名は忘れました。
 そしてみぞれも落ち着き、せっかく四日市に来たので工場夜景を楽しもうと四日市の工場群を散策。そろそろ、津に向けて帰ろうとしたタイミングでみぞれが強くなってきた。
 雨具もなにも用意しておらず、この後の気象状況も掴めなかった。携帯の充電も十分ではなかった。結局迷った挙句、海山道駅前の駐輪場に自転車を停め、近鉄四日市駅にむかった。因みに津市の友人に聞いたところ、津市ではみぞれも雨も降っていなかったとのこと。日本海や琵琶湖から流れ着く雪雲はたいてい四日市あたりが南限らしい。
 そしてコンビニで電池式のバッテリーを買い、カラオケで一夜を過ごそうと試みるも一人利用だと後回しにされる感じだったのでネットカフェ亜熱帯のオープンスペースで一夜を過ごした。ここが人生初めてのネットカフェ利用でオープン席使ったのは最初で最後です。
 モバイルバッテリーも電池式はあまり使い物にならないし、ネットカフェならコンセントもあったかもだし(コンセント式の充電器を持っていったかは覚えていない)、雨具も持って来てないし、天気もろくに調べてないし、当時の自分を振り返ると行き当たりばったりすぎる。
 
まあ、これも経験といえば聞こえはいいが。というわけで翌朝四日市市を後にします。

四日市の工場夜景


四日市の工場夜景
四日市の工場群


往路編で三重県最大の難所と書いた鈴鹿川からみる風景

③鈴鹿市

 翌朝、気分を変え、鈴鹿市内を通過。往復で経路が似通るときはカントリーサインは撮っていないので写真はなかった。

④津市ー到着!

無事、津市まで帰ってきたのは紛れもない事実。写真は全くないですが信じてください。

4.エピローグ

 なんだかんだトラブルに見舞われながらも、無事に帰ってこれたという意味ではこの自転車旅は成功だったと思っている。
 行きは前回の失敗も活かせた所もあり、割と順調に行けた。しかし帰りは行き当たりばったり、気象条件も悪く、2泊もしてしまう結果になった。津市は晴れていた事も鑑みて今思うと、そのまま帰った方がよかったのではとも思う。
 しかし、この旅行がなければ、この後の旅行でネットカフェを使おうという発想にならずに、ネットカフェの活用の仕方を知ることもなかっただろう。また、近鉄富田駅のお好み焼き屋の人と話すこともなかっただろう。電池式のモバイルバッテリーは買わないでおこうともならなかった。
 賢者は歴史にまなび愚者は経験にまなぶというが、まさに私は愚者の側。しかし、この旅行の経験でまなべたことも多かったので有意義なものだったと思います。
    これでママチャリ旅行記事第1弾は終了です。最後までお読みいただきありがとうございました。
    また次回の旅行記で、記事でお会いしましょう。

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