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「爆買い」報道と進歩しないメディア ~後編~

 前編ではかなり脱線してしまったので、まさかの前・後編になっていましました。インバウンドとメディアについてもう少し考えてみたいと思います。

爆買いは復活するか?という視点

 コロナ後のインバウンド復活という観点において、やはり「爆買い」は復活するかという観点のものが結構あったように思います。これについて、前編の冒頭で紹介した記事には、以下のように書いています。

 日本社会がコロナ禍を経てもあまり変わらない、あるいは実際にはじわじわと(悪いほうへと)変わっていても、そのスピードが比較的緩やかであるためにあまり気づかないからか、中国でも日本と同じように時間が流れているのだろうと誤解しているのではないかと感じている。
 その結果、このようなステレオタイプ的な報道が増えてしまい、読者も視聴者もそれにつられて「爆買い」に期待したり、「爆買い」客は日本に来ないでほしいと気をもんだりするのだが、筆者の考える限り、当の中国人自身は、そうした日本の報道とはまったく異なるステージに立っている。

中島恵「日本メディアの『爆買い中国人』報道が周回遅れな理由」『Wedge』10/4(火)6:02配信

 私もこれには完全に同意で、内陸部の人で団体旅行で日本を訪れる人たちはもちろんいるけれども、話すときは大きな声を避け、グランピングなどのコト消費を楽しみ、自分の好きなように時間を使うという人も大勢います。こうした人たちを一まとめに「中国人観光客」と呼んでしまうから、違和感が生じているような気がします。

市場細分化はメディアになじまない??

 ここで、前編で紹介したターゲット設定の「デモ・ジオ・サイコ」を思い出してほしいのですが、「中国人観光客」というのは、「デモグラフィック基準」であるだけで、しかもかなりざっくりとした区分です。訪日回数10回以上の上海の都会人も、訪日が初めての初老の団体旅行客もすべておなじ「中国人」と括ることに無理が生じているのではないかと感じるのです。
 実際、コロナ前の2019年の段階では、個人旅行のビザ取得者が団体旅行のそれよりもかなり多かったにもかかわらず、「中国人観光客」が「団体」のイメージを残すのは、「爆買い」報道の残渣ではないかと思っています。
 ここからは、私の推測ですが、メディアは「わかりやすさ」を旨としています。海外の話になると、まずは「国籍」から入り、国籍イメージの呪縛からなかなか逃れられない(=逃れたくない)のが現状なのではないでしょうか。まして、よくも悪くも注目を集める「中国」については、どうしても一党支配のイメージと結びついてしまいがちです。インバウンドといえば、「中国」=「爆買い」であり、中国の市場変化についていけていないメディアが平気で「爆買い」という用語を使ってしまっている気がします。
 ※なお、私は中国政府の支持者であると言っているわけではありません。インバウンド市場をどう見るかについて、もっと報道の方法に改善の余地があるのではないかと言いたいと思って書いています。念のため。

主語は小さく

 話は変わりますが、私が日ごろ、胸に誓っている習慣の一つが「主語は小さく」です。現代においても、「女性は~」「中国人は~」「若者は~」といったように、多様な思考・趣味・行動様式をもつ人たちを十把一絡げにして話している人をよく見かけます。でも、かつてのような大量・画一消費の時代は終わり、あるいは、ブラウン管から流れてくる情報を一方的に受け取る時代は終わり、自分の好きなものをより選べる時代、様々なコミュニケーションツールを選べる時代になっているはず。そんな中で、メディアの報道をうのみにしたり、少ないサンプル数のみを考慮に入れて、「中国人は~」と大きい主語を語る人間にはなりたくない、と改めて思っています。そういう意味でも、生活の様々な場面で、「サイコグラフィック基準」を常に意識していきたいと思うわけであります。

 前・後編にわたってお読みいただき、ありがとうございました。

 

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