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【自己紹介①】音楽業界に踏み込んだきっかけ

フロントマンではない私が、自己紹介を書くことに抵抗がありましたが…

スタッフから「noteでは自己紹介も重要ですよ」と言われたので、今日は、私が音楽業界に踏み込んだきっかけを書いてみようと思います。

私の経験が皆さんのお役に立てるかわかりませんが、こんな人もいるという、音楽を生業としている1人の人間の人生を楽しんでいただければ幸いです。


1. 音楽を「異常に」楽しんだ中学時代


私は兄弟の影響もあり主に洋楽が好きでビートルズ、ブリティッシュロック、プログレッシブロックが好きでしたが、邦楽では井上陽水とユーミンが好きでした。

特に井上陽水にハマっていました。別にフォークソングやニューミュージックが好きな訳ではなかったのですが、何故か好きでした。
兄の影響でギターを弾き始めたのが中学生の頃。

特にコピーや真似をしていたわけではありませんが、練習していて自分の声がレコードの井上陽水の声と違う、自分のギターが井上陽水の音と違う事が、メチャクチャ嫌でした。

「頭に浮かんだことが実現できない」ことがとにかく嫌で、泣きながら自分の顔を殴り悔しんでいました。
それを見ていた姉からは「異常だ」とも言われました。

そんな音楽を「異常な」楽しみ方をしていた中学時代を過ごした私。
この頃はまだ音楽を仕事にしたいとは考えたことがありませんでした。


2. 親戚(レコ大作曲家)に後押しされた高校2年


私の進路が決まったのは、高校2年の頃。
進学校に通っていたので、進路は大体決まっているようなものでした。

この後は「いい大学」→「いい会社」と段階を踏んでいくんだろう…
とイメージしたときに「自分にはいい会社はいらないかも…」という考えに至りました。
そこからは、「やらなければいけないもの(勉強)」に支配されていた価値観から解放されて「やりたいもの」を考えられるようになり、「音楽プロデューサーになりたい」という、漠然とではありましたが1つの夢が生まれました。

子供の頃から当時のトップアーティスト、ジュリーのライブを間近で観せて貰えることが多かったので
音楽の能力が高いだけでは「フロントマン」は務まらないことを子供ながらに知っていました。
そんな時、YMOの細野晴臣さんの著書『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』を読み「プロデューサー」という仕事があることを知り、フロントマンにはなれないと思っていた自分にとっては救われたような気がしていたのです。


そして、高校2年の夏、作曲家をしている親戚に相談するために上京しました。
その親戚は、元々はグループサウンズで活躍、その後は作曲家としてレコード大賞を取るまでになった音楽家で、私にとっては憧れの叔父のような存在であり、「頭に浮かんだことは実現できること」をまさしく実現できている身近な存在でもありました。


「音楽プロデューサーになりたいんです!」と私が言うと「ボストンのバークリー音楽大学に行ってきたら」と音大への進学を勧められました。
私は「わかりました!行ってきます!」と即答していました。
不思議と待ち構えるであろう困難(語学の問題・お金の問題)などは一切頭に浮かばず、怖さも全くありませんでした。

そしてそれまで漠然としていた「頭に浮かんだこと」が、より明確な目標に変わった瞬間でもありました。


高校卒業からバークリー音楽大学に行くまでも色々あったので、次回はそのお話を。

2022/01/27 追記:続きはこちら↓


小泉 誠司

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