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「自分は生産性の無い人間だ」と悩んでいる人へ

こんにちは。いろさいです。

たまに「自分は生産性のない人間だ」と思い、自分に存在価値を見出す事ができずに自己否定で悩んだり苦しんでいる人を見かけることがあります。そんな人に私から提案したいのは「生産性というのは何を意味するのか?」というのを捉え直してみる、ということです。

私達はある時から「生産性を上げる」ということを重視して生きるようになりました。この「生産性を上げる」という前提には「消費社会」があり、その根底には「貨幣主義」といったお金を基盤とする社会システムがあります。この社会システムに沿うために、人々が「生産性を上げる」ということを、全体目標として取り組むことになったのです。なので「生産性を上げる」というのは、「モノを売らないとお金を得ることが出来ない、なのでたくさん売ってたくさん消費させる」という社会構造が生み出した思想とも言えます。

しかし、私達の周りには人間が消費しきれないくらいの「モノ」で溢れています。衣食住を例に取ってみていきましょう。「衣」では、私達の体は一つしか無いのにたくさんの衣服が流通されています。売り切れない衣服はセールとなり、いずれは廃棄となります。「食」では、食べきれない食材や食べ物たちがスーパーやコンビニに並び、食べきれないものはいずれ消費期限がきて廃棄となります。「住」では、建てたけど売れなくて住む人がいないマンションや戸建ても珍しくなくなり、今は空き家が社会問題ともなっています。生産性を上げて生産したものが売れ残り、最終的に処分されたり放置されているという現状を見てみると、社会的に「生産性を上げる」という行為が、実は根本では何も生み出しておらず、社会構造の虚構として「生産性を上げている」ことだけだった、というのを指摘できるのではないでしょうか。

物事には必ず裏と表があり、「生産性」というのは必ず裏の「破壊性」を含んでいます。つまり生産性のあるラインを超えると、それは破壊性に転移するということです。たくさんモノを生産するために森を破壊していくのと同じことです。私達は生産性を上げるために他の領域を破壊し続けることで、結果自然の中で生きる人間の首をも締めることになりました。それでも「生産性を上げる」ということに対して思考停止で「良いこと」としている風潮については、現行の貨幣社会に対して、他の代替案の社会システムを上手く示すことが出来ないからだと思っています。しかし、現行の貨幣社会が存続不可能な社会システムであることを多くの人が無意識下で感じ取っており、貨幣社会の脱落者が増大になればなるほど、新しい社会システムの萌芽が早急に咲き始めるのではないかと考えています。

生産性と破壊性についての話に戻りますが、「生産性」の中にはそれを「育てる」という行為は含まれていません。あくまでも「生み出す=生産性」です。物事は生み出したものを育てることで発展に繋がります。しかし、多くの人が勘違いしているところですが、「生み出す行為」と「育てる行為」はスキルが違うのです。生み出すことが出来てもそれを育てることが出来ないと、結果ただ生み出しただけで他の部分を破壊することになった、というのはよくある話です。疲弊した貨幣社会においては、かろうじてなんとか「生み出す」事はできても、それを育てるというところまで時間も労力も無いのが現状です。つまり生産性が直接、破壊行為に繋がってしまっている可能性があるのです。生産性を追い求めるにつれて、それに携わっている人間が破壊性に追いやられてしまうのは、決して笑える話ではありません。

人間は本来、誰もが生産性を持っています。しかし、【貨幣主義の社会構造に適した生産物を生産する能力】があるかは、個々によって異なります。今の社会が示す「生産性」というのは、こういった貨幣主義をベースとした「生産性」を意味し、この生産性が無いと人間として価値が無いような扱いを受けるというのは、「こういった歯車に組み込むことが出来ないという意味での価値の無さ」であり、人間の本質として価値がないということでは全く無いということを理解しておきましょう。私達は狭い社会の部品として生きていくことが本質ではないということは、言うまでもないでしょう。

これからの世界は、自分の生産性を「エネルギー」として示せるような時代になると私は考えますし、そのようにしていきたいと思っています。

例えば、自分の書いた文章が誰かに読まれることで、その誰かを元気づけたり勇気づけたりするかもしれません。これも「生産性」です。自分の作った料理が誰かに食べて喜んでもらえるのも「生産性」です。一緒に楽しく会話して相手の気持ちを高めることも「生産性」です。自分の本来持っている「これをやりたい」と思って生じた行動は高いエネルギーを発します。この高いエネルギーが誰かに伝わることでエネルギー交換が行われ、ある人を元気にすることが可能だったりします。その力強いエネルギーを受け取った人が「楽しい気持ちになった」「興味深くてワクワクした」「なんだか元気が出てきた」「私もやってみたい」「自分も頑張るぞ」「見習いたい」等と誰かのアウトプットになるのであれば、これこそが高い生産性と言えるのではないでしょうか。本来の生産性というのはとてもシンプルなものです。

私達は、すべて存在の在り方がお金に着地する「貨幣社会」で生活することで疲弊しています。どう考えても続けることが難しいシステムに無理やり自分を沿わせる生き方は終わりにし、新しい社会システムの萌芽を各々で開かせることで、既存のやり方が徐々に変化していくようになると考えます。どんどんお金がデジタル通貨に移行しているように、重い「地」の元素を重視していた方向がそれをバラす「風」の方向にシフトしていっています。「風」とは横の繋がりです。その関係は軽くありながら広範囲に飛んでいけるタイプのものです。

生産性というのは、誰しもが持っているものであるということ。そして「貨幣社会を回すための生産」が生産性とされていた社会に対して「生産性がない」というのは、ただ本人にその適正があるかないかであるということを改めて理解しておいてください。また、誰かをこういった「生産性がない」という目線で見続けることによって、自分をこういった生産性というカテゴライズに縛り付けることになります。誰かをそういった目線で見るということは、自分もそういった目線から見続けることであり、その縛りから永久に抜け出すことは出来ません。そして、多くの人がこういった目線で自分や他者を見ることに疲れてうんざりしています。飽きているということは、それをもう「する必要が無いよ」、といった内なる自分の心の声の叫びであることを受け止めてあげて下さい。






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