第17回 江戸時代のあれこれ①─大名屋敷の話─
1,加賀藩下屋敷跡
加賀藩下屋敷跡は、板橋区と北区の境にある大名屋敷の跡。後で詳しく話しますが、大名屋敷とは、藩主が参勤交代で国許から江戸に来た際に住む屋敷や別荘のこと。
加賀藩下屋敷という名前の中にある「下屋敷」は、別荘などの用途に使われていました。
「下屋敷」は川沿いや海が見える場所、江戸の郊外(板橋や新宿、品川、千住といった街道沿いや、江戸から近い巣鴨や駒込)に作られることがよくありました。
参勤交代に来た大名たちは、下屋敷が見えたとき、「ここからは公方様のお膝元じゃ」といって、気を引き締めていたのでしょう。
2,大名屋敷について
さて、「下屋敷」と聞いて、「下があるということは上中もあるね」と思われた方もいるでしょう。あります。ただ、用途は下屋敷とは違いますが。
それが、「上屋敷」と「中屋敷」です。
上屋敷は主に現役の藩主やその家族が、中屋敷は嗣子やご隠居などが住んでいたとされています。立地は親藩や譜代大名であれば大手町界隈、外様大名は大名小路や桜田門外(あるいは錦糸町)の界隈といった感じです。今でも都心の一等地ですね。ちなみに御三家の屋敷は、紅葉山の界隈にあったのだそう。
明治に入ると、藩主やその家臣団が国許へ帰ったりしたので空き家に。賊や職にあぶれた旧幕臣が不法占拠していたため、治安面でも問題になりました。
そこで政府は、旧藩邸や武家屋敷の敷地を買い取り、そこに官公庁や軍の施設を建てました。今の警視庁や旧法務省の庁舎周辺は米沢藩邸、現在の憲政記念館がある辺りは彦根藩邸であることはよく知られています。
また、財閥も旧藩邸を買い取っていました。
三菱の創始者で知られる岩崎弥太郎は、本駒込にある柳沢家の下屋敷(六義園)を、安田財閥の始祖安田善次郎は常陸笠間藩下屋敷(安田庭園)を買い取っています。昭和に入ってから東京市に寄贈され、現在では公園として整備されています。
【参考文献】
実業之日本社『古地図で大江戸お散歩マップ』(2019)1刷
花田富士夫『江戸早わかり事典』(2010)小学館 第1刷
東京都公園協会『六義園』(https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about031.html)
JAPAN WEB MAGAZINE『旧安田庭園』(https://japan-web-magazine.com/japanese/tokyo/yasuda-garden/index.html)
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