『花束みたいな恋をした』を観て、勘違いをしないでください。

※映画のネタバレを含みます。
菅田将暉さんと有村架純さんのW主演映画『花束みたいな恋をした』を観ました。
男女の出会いから別れまでのプロセスを贅沢なフルコースのように楽しませ、切なくさせてくれる素敵な恋愛映画だったのですが、どうしても1点受け入れがたい箇所がありました。
それは、菅田将暉演じる麦が、イラストレーターとして食べていく夢を一度差し置いてブラック気味の起業に就職し、そこから彼の生活と心の余裕がなくなり、2人の関係性が崩れ始めたことです。
菅田の労働環境は映画の最後まで変化があったことは語られず、比較的爽やかに作品が終わるので、「それが大人の社会では仕方のないこと」という印象を視聴者は抱きます。
しかし、彼は絵を描き続ける働き方をするべきです。もしかしたら金のため、生活のために全てを犠牲にする、という状況は仕方ないことかもしれないが、それを正しいと思う考え方は間違っています。少なくとも当たり前と思ってはいけません。
これは映画を観て社会人の生活を想像した10代の若者たちには、特に知っておいてもらいたい。
自分の夢である絵は、職業にならなくとも描き続ける生活を模索するべきだし、能動的な創造活動が難しくとも、小説を読む、舞台を見る、ゲームを恋人と楽しむと言った文化的価値を享受する時間は確保すべきです。
そうしないと心は渇き、あなたの人生の指針は「経済合理性」に一本化してしまいます。
文化的な瑞々しさを失った人間は資本主義というシステムの上で躍るロボットです。
あなたたちにはそうなって欲しくありません。
そういう大人で溢れた社会に僕自身が住みたくないんです。
だから、『花束みたいな恋をした』はとても良い映画だったけれど、そこだけは勘違いしないでください。

by 佐郷

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