憧れの人

先日憧れの人と偶然会った。すごくすごくうれしくて、帰り道スキップをして帰った。ふと、その人のことを「いつから。そしてどうして好きなのか」を考えてみた。

初めてその人の存在を知ったのは
街角クリエイティブという映画コラムであった。

当時2015年、2月頃。
今の私からは想像できないほど、当時の私には何もなかった。
娘が無事に生まれ、子育て歴5年。社会に復帰したいけど、何をどうして復帰すればいいかわからない状況だった。はたから見ればそうは見えなくても私の中は真っ暗だった。

コラムには「広告代理店勤務」とあり、文章の面白さ、知的さからD通の方だろうなと推測した。

コラムを読んでは毎回「こんなに面白く、自分の考えが文字で表現できたら気持ちいだろうな」と思っていた。

コラムにはいつも愛と笑いと知的なものがぎゅーーーっと詰め込まれていて一回目は爆笑しながら読む。二回目も爆笑しながら読む。三回目くらいからやっと落ち着いて読む。四回目に文章の分析(一番伝えたいところはどこなのかなとか)を感じながら読むを繰り返していた。

その一方でその文章を支える膨大な量の知識やセンスに想いを馳せると眩暈がしてた。

2015年は私にとって激動の年であった。5月に企業から復職打診があり、養成講座に通い、キャリコンの資格を取得し、秋にカムバックした。

あっという間に時間は過ぎ。

その人の2016年末の文章にはこうあった。
「24年勤めていたD通を辞めた」「青年失業家」として生きていくとあった。

爆笑した。
電通を辞める。さすがである。ガーサスである。

と同時に2015年、その人を知ったばかりの私だと電通を辞めるということがこれっぽっちも理解できなかっただろうな、と思った。

でも2016年年末には「そうか、そのような決断をされたのか」と思った。
1年間で私も随分と変わった。キャリコンとしての仕事が広がりだし、いろんな世界が見えてきた頃だった。
いろんな人の価値観や考え、そしのその人たちの世界を理解しようする関りを持てたし、またその関りがとても楽しかった。

その後青年失業家さんはほぼ日で糸井重里さんと対談をされたり、コラムを書いたり、本も出版されどんどん活躍の場を広げていかれ…

ずっと見守っていたいと思う方です。

最後に。
普段はふざけたことばっかり仰っているTwitterですが、泰延さんの優しい、そして仕事に対するお人柄が垣間見れます。


大好きだから長生きしてほしいです。
なんかただのファンレターになってしまったw恥ずかしいwえへ。



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