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(8/100)激動の幕末をどう生きたか?「悲劇の志士・赤松小三郎」

著者の江宮隆之はこの本で、赤松小三郎という幕末の下級武士を、坂本龍馬と似た思想を龍馬より早く進言していたが評価されていない不遇の武士として描いている。

あとがきに

小三郎は、龍馬の「船中八策」に先駆けて、上下議員制度、議院内閣制などの「公議政体論」さらには海軍の充実や初等中等から大学までの教育環境の整備などを、越前春嶽に意見書として提出しているのである。

とあるほどだ。

しかし私の読後感はちょっと違った。坂本龍馬と比べるのであれば、激動の幕末の世渡りの違いがテーマだったのではないだろうか。

赤松小三郎とは

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小三郎は秀才だ。計算が早く語学にも長けていた。その才能を引き立てられ、江戸にも出られた。そのタイミングにペリーの来航を知り、勝海舟に会い、勝に引き立てられ長崎の海軍伝習所に入れてもらう。しかしその後、勝海舟が太平洋を渡る咸臨丸には、武士の階級が低く乗り込めなかった。自らの知識、黒船を見た経験、広い見聞から、議院内閣制などを唱えた赤松だったが、その功績はあまり日の目を見ないまま暗殺されてしまう。

坂本龍馬は

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坂本龍馬は剣術の修行で江戸に出て、ペリーの来航に出くわす。その衝撃から海軍の必要性を訴え、自ら行動に出る。勝海舟の神戸海軍操練所の開設のために、福井藩から千両を借り受ける。日本のためには薩摩と長州が争っている場合ではないとして、薩長同盟を結ばせる。日本の国力を強めるために、海援隊を作り武器の調達や資金集めに遁走する。しかし、大政奉還直後に暗殺されてしまう。

動乱の時代に生きる道

赤松小三郎は実直だ。幕藩体制のシステムに従って、自らの知識や技術を生かしていこうとする一生だった。しかし小三郎は下級武士だ。いくら知識があっても、地位が低く咸臨丸には乗れなかった。幕末システムでは「そこまで」なのだ。

いっぽうの坂本龍馬は、破天荒だ。土佐藩を脱藩して、日本中の活動的な幕末人たちに会い、金のあるところから資金を集め、日本を有るべき形に変えようとしていく行動力。既存のシステムなんて気にしない。新しい制度は俺が作るという気概。

なんだか、今の時代に必要なことが見えてきた一冊だった。

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