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常に逸脱していたい願望がある

こんにちは、おちらしさんスタッフの島田です。
前回記事を書いたのが昨年末なので、今年初の記事投稿となります。
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。


前回の記事から3ヶ月、書きたい事が多すぎて何をどういう構成で書けばいいやら全くまとまらない始末…はてさて、いったいどうしたものでしょう。


自分はなんだか年々文章を書くのが苦手になっていってる気がします。
昔の自分は文章を書くことについて、得意とはいえないもののとても好きだったような記憶があります。

小学生の時、クラスの係活動(懐かしい!)では『新聞係』を務め、クラス新聞を一人で年に7~80号作っていました。
毎日クラス内のネタを探すために奔走し、家に帰ってから深夜の1~2時まで記事を書き、翌日すぐに新聞を発行していました。

「ウチの子のクラスでの様子がよく分かって楽しい!」と、保護者の皆さまからの評判がめちゃくちゃ良かった事を鮮明に覚えています。

そんな自分が文章を書くのが苦手になった理由はなんだろうと考えてみたのですが、考えてみても明確なきっかけっていうのは無いんですよね。

明確なきっかけはないのですが、小学校を卒業して単純に『書かなくなった』という事(これは明確なきっかけなのでは?)と、歳を重ねるにつれていろんな価値観の人に出会ったり、いろんなコンテンツに触れた事が大きかったのかな…とは思っています。

小学生の頃はまだ『自分』というものが完全に形成される前の時期だったような気がして、その時期であれば純粋に自分が目にした面白いもの、興味深いものをネタとして消化する事が出来たというか、消化する事に躊躇がなかったんだと思います。

しかし歳を重ねていろんな価値観の人に出会うようになって、"自分を表現しすぎない方がうまくいく事も多いんだな"と気づいてから、次第に『自分なりの表現』をする事が苦手になってしまったのかもしれません。

特に文章を書く上では、『脳で考えた事』、『心で思った事』、『それを実際に書く・タイピングする事』がうまく連動できなくなってしまったのかもしれません。口にして喋る事の方がまだ得意かもしれないですね。

今回は『文章を書くのが苦手になってしまった理由』ですが、似たような事っていっぱいあると思うんですよね。


たとえば舞台。
以前書いた記事で、かつてある有名な演出家から『演技に携わるものであれば、どんな事であっても単一的な物の見方をしてはいけない』という教えを受けた事を書いたのですが、その影響もちょっとあるのかもしれません。

その演出家の言っていた事は確かにそうだと思いますし、視野や思考は広い方が良いことも多いかとは思いますが、エッジの効いた表現をしたいなら単一的な"それ"でガンガン突き進んでいくのも良さそうだな…と思ったりもしました。

あるいは美術。
私自身が絵を描く事はほとんどないのですが、大好きな岡本太郎の『四角い枠にこだわるな。キャンバスからはみ出せ』『芸術は爆発だ』といった言葉は、私の心をいつも強く打ちつけています。

芸人の爆笑問題・太田光は先日放送された大型ネタ番組『ENGEIグランドスラム』で、舞台装置のせり上がりの動作を無視して我先にと舞台に登場し、『助けてくれー!!!!』と叫んでネタを開始したんですね。

先日放送された…と書きましたが、ほぼ毎回やってるんですよコレ。
コロナ前、観覧のお客さんでびっしりと客席が埋まった会場でそれやってるのを見た時はパンク(・ロック)の気概さえ感じて、ちょっと泣けてくるくらいでした。


歳を取るたびに、逸脱しているものへの憧れは強くなっていきます。

自分はこれから、社会という枠の中での生活を成立させていきつつ、どれだけ逸脱する事ができるだろう。

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あれ、そんな話だったっけ?


しまだ(@nevula_shimada)

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