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今だから見える、60年前にいたトンネルの先には何があった?【PR】

こんにちは!おちらしさんスタッフの水口です。
2022年も早いもので、上半期が終わろうとしていますね。

コロナ禍が始まっておよそ2年半が経って、マスクをした生活が当たり前になりました。感染は未だ落ち着いたというには程遠くもありつつ、飲食店やスポーツ観戦・舞台やライブ・旅行も徐々に緩和されはじめましたよね。
一方で、環境破壊から来る気象異常や、ロシアのウクライナへの侵攻、円安とそれに伴う価格高騰、差別問題や格差問題なども前途多難な状況が続き、心配な事柄も多いですよね…。

さて、今から60年前の「1962年」と聞いて、
あなたはどんなことを思い浮かべますか?

高度経済成長期の真っ只中?

前回の東京オリンピックの少し前?

三丁目の夕日?

平成生まれのわたしには、上に挙げたような、「これから明るい未来が待っている」という希望や、敗戦から立ち直り盛り上がっていく高揚感がある時代、そんな印象を抱いていました。少なくとも、今よりは良い時代だと。

もしかしたら、この印象は違うのかも?という気付きを得られる作品に出会いました。

現在配信中の、シニア演劇再開✿加齢道スコープ『あの日のトンネル』です。

2つのシニア劇団が、
時代設定、タイトル、舞台装置は同じで、
異なる2つの物語を行った公演です。

この異なる2作から、2022年から見た1962年はどんな年なのか、が
演劇ならではの面白さや、世代の違う人たちと分かち合うことの素敵さを感じた作品なので、じっくりご紹介しようと思います。

60年を行き来する中で見えるもの

ひとつめの劇団は、かんじゅく座。

こちらは、小学校を舞台に1962年と、廃校となり「こども食堂」となった2022年を行き来する形で展開する物語です。

■あらすじ■
廃校になった母校を利用して、72歳の敦子はこども食堂を立ち上げた。半年たったある日、敦子はある男性の後見人にならないかと持ちかけられる。それが、小学6年生の時のクラスメート、登だった。舞台は60年前の教室にタイムスリップ!当時のある事件が蘇る。友達、命、障害、孤独、いくつもの壁が、12歳の子どもたちの心を揺り動かした。敦子がこども食堂を始めた原点が、そこにあった。

こども食堂を始めた敦子や、登をはじめとする彼女のクラスメートは、1962年と2022年で同じ俳優が演じます。

2022年の場面の直後に1962年の場面が出てくるという構成で、小学生だった当時、「ある事件」に対してどのような思いをしたのかが、鮮明なまま観ることが出来るようになっています。
俳優が、小学生の時と、年齢を重ねた現代とを両方やると、実際に感じたこととして結びつきやすく

また、2022年からの視点もあるため、1962年自体を俯瞰した部分も多くあります。

2022年の場面で、町に帰ってくることになった登について、「現代でいえば発達障害だったのかもしれない」とクラスメートの一人が語っていて、当時はきちんとした向き合い方がされず、見過ごされていた事もあったのではないか、という示唆もありました。
かんじゅく座の作・演出を務めた鯨エマさんにお話しを聞いたところ、かんじゅく座は出演者の平均年齢が72歳、最高齢の方は80歳とのこと。難病・難聴・認知症などハンディもあるが、それをハンディと捉えず、演劇表現としての面白さに変えたいと思った、と教えていただきました。こういった出演者の状態の向き合い方は、先に挙げた作中での発達障害や不登校などへの向き合い方にも通ずるものがありますね。

そして、現代の敦子が、過去を踏まえて何が出来るかを考え、「こども食堂」という形で現状をよりよく出来ないかと行動し、周囲の過去の同級生たちにも変化を与えていく様には、何歳になっても行動次第でより良く変えていけると勇気を貰える作品でした。

演劇界が別の苦境に立たされた時代

ふたつめの劇団は、ベニクラゲproject。

こちらは、映画・テレビの台頭によって演劇が苦境に立たされた時代として描く物語です。

■あらすじ■
高度経済成長期を迎えた1962年の日本。映画とテレビの普及で、大衆演劇は廃れつつあった。老舗劇団「紅海月(ベニクラゲ)座」も例に漏れず。しかも公演中に座長が病気で倒れてしまう。座長が後継者に指名したのは、演劇と無関係の生活を送っていた一人娘・花恵。劇団員の反発。一座の抱える借金。そして劇場買い上げを提案してくる芸能事務所…。果たして、花恵は持ち前の頑固さと実直さで数々の問題を解決し、劇団を存続出来るのか!?

戦後間もない頃から活動する大衆演劇の劇団「紅海月座」。座長が病気で倒れ、劇団外にいた花恵が入ることで、テレビや映画の普及が影響して客足が遠のいている以外にも、様々な綻びがある事に気づいていきます。

観ている最中、この状況って、今の舞台業界にも通じるんじゃないのか、と気付かされました。

コロナ禍によって、「不要不急」と決め付けられ、中止や延期、席数制限になるのと同時に、様々なハラスメントや業界の体質の古さも明るみにもなりました。

正直、舞台って不要なのかもしれない、そんな思いをしたこともありました。

劇団員の一人が「戦後、みんなが暗い顔している中で、どうにか元気になってほしかった」というセリフや、花恵が勤める会社の先輩が「高度経済成長でみんな働きづめだから、日々を忘れて楽しめるものが必要なんじゃないか」といったセリフなどに、「やっぱりいつだって舞台って必要なものだよね!」と再認識しました。私も東日本大震災直後に観た舞台にとても勇気づけられたので、このセリフには激しく同意してしまいました。

ベニクラゲprojectは、旗揚げした直後にコロナ禍になってしまい、2年半ほど活動が出来なかったようで、今回が久しぶりの公演だったとのこと。
先ほど紹介したセリフは、今こういった状況下に置かれた劇団だったからこそ響くセリフになったのかもしれません。

異なる2つの『あの日のトンネル』を観て

正直なところ、わたしは高度経済成長期という時代に羨ましさを感じていました。色々なものが新たに始まっていく時代、そして、毎年経済が発展していく、努力をすればその分だけ報われるということを、無条件に信じられた時代だと、思っていました。
現代は、年金や税金を納めていてもその恩恵は大したものではなく、あらゆることが「自己責任」。そして、コロナ禍で色々なことが制限される状況…。

1962年が色々なことが急速に変化した時代であったことは間違いありません。変化が大きく、急激な分、その変化の波のなかにいる人たちにとっては必ずしも明るい話ばかりではなかったのもしれない――。

それは、コロナ禍をはじめとする1962年とは別の変化を迎えている60年経った今だって同じことなのかも、と思いました。

そして、その時代に生きた人から「話を聞く」という形では無く、「演じられるものを観る」という形では、共有される内容は同じでも、得られる質感は大きく異なるとも再認識しました。

もしかしたら、現代だって数十年経ったら、「良い時代だったんだろうな…」と思われるかもしれませんもんね。

是非、今を生きる色んな世代の方に観ていただきたい作品です!

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