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むかし憧れた外車に8年乗り、別れを告げた

先日、8年乗ったボルボを廃車にした。


もともと維持費やガソリン代(ハイオク)もかかるし、今回の車検で最後にする気だった。家族や同僚らには「ガソリン代もかかるし、はやく軽にしろ」と言われ続けていた。7~8km/ℓである。


車検に出し、当初は部品交換代含め15万程度で済む予定だったところ、他にもいろいろ問題があり、車検を通すだけで30万かかると電話で言われた。ちなみに根本的にあちこち直すと60万。バカ言うんじゃないよ、あんた。

貯金の3倍の額の請求書

電話のあと、51万円の修理代の見積書が送られてきた。車検の基本料金の9万を足すと合計60万。聞き間違いではなかったらしい。


なんかこの書類だけみると、自分がめちゃ金持ちみたいだ。この見積書を見ても「あ~なるほどね、適当にやっといて」と返答する。パラレルワールドの年収1億円の私は、きっと、そんな感じ。


で、現実世界の私はというと、現在の貯金が16万である。


車検を通すなら最低30万なので、

16 - 30 = -14 である。

中1の数学風に言えば、自家用車を車検に出すと、-14万円の残金が残る、のである。というか、払えない、のである。


結局、「ちょっといろんなことを検討します」と車屋に返答をした。仕事帰り、自転車を買った。とりあえず収納しやすい折りたたみ自転車で、乗っていたボルボと同じダークレッド系の色の自転車で即決。


「検討します」と言いながら、ボルボと過ごす時間はもう長くないのだと、わかっていた。でも未来に進むために、私は自転車を買わねばならなかった。


自転車の名前はボルに決定

翌日の土曜日、出勤前に「すみません、車検やめます。あと買取もしくは廃車に出せますか?」と連絡をした。

その日は仕事を早上がりして、借りていた代車を返しに車屋まで行った。無事、ボルボを取り戻し、乗って家に帰った。


廃車にするのだから、荷物だけもらって、そのまま車を預けて廃車手続きを進めてもよかった。でも、最後に1日だけ乗りたかった。まもなく車検が切れてしまうことを考えると、ボルボに乗れるのは、今夜、つまり土曜の夜から日曜の昼までしかないのだ。


夜、ドライブに出かけた。ラストランである。慣れ親しんだ道から、隣町の知らない道を回った。8年間乗り続けていたので、操作が体にしみ込んでいた。

初めは重いと感じたハンドル。アクセルやブレーキの加減。バックギアに入れても無音であること。ナビもバックモニターもないので目視やミラーで念入りに確認すること。


今日は空気が乾いていて、窓を開けると風が心地よい日だ。花粉アレルギーのくせに、運転中は窓を全開にするのが、昔から好きだった。本当は夜よりも日中に、見知らぬ田舎の道を走るのが侘しくて一番好きだ。でも、日没にかけての不思議なほどきれいな夕焼けや、深夜の車通りのない道も、孤独でよい。


下駄で運転するときは素足

思えば、私が初めての車にボルボを選んだのは、こち亀の影響である。『ボルボという車は、スウェーデンのやつで、堅くて、強い』そんなイメージをずっと抱いていた。


社会人になってしばらくは母親の軽自動車に乗っていたのだが、ふとボルボに憧れていたことを思い出した。そうすると、私は他の車種に見向きもせず、休みの日にボルボ専門店にアポなしで訪れた。車を見て回って、試乗もして(アポなしだから店員が焦っていた)、これにします!と即決した(アポなしだから店員が焦っていた)。人生で初めてのローンも組んだ。



2時間ほどドライブをして帰宅して、眠る。いよいよ、明日である。


*


夜が明けて日曜日。朝から車の片づけをする。この車で車中泊を何十回したんだろう。もっとたくさんすればよかった。でも、体がギリギリ入るぐらいで朝全身が痛くて、痛くて。

でも、もっとたくさんすればよかった。旅先で出会った、ずっと着いてきて、しまいには車にくっついていた猫を思い出した。近くにいたおじさんが、「もうあきらめて、つれてかえれ」と言っていた。


鳴きながら着いてくる


しばらく離れなかったねこ

ボルボの片付けを終えて、後部座席に買ったばかりの自転車を積んで車屋に向かう。最後の、本当のラストランである。


別れを惜しんでいるのは私なのに、私がこの手で運転するのだ。着いたら、廃車の手続きが始まるのに。君を、私の手で、運び届けるのだ。昼頃までに向かうことになっているけど、このまま行ったらすぐついてしまう。

ちょっと遠回りして、ワークマンで雨合羽と防水バッグを買った。これから自転車で片道30分の通勤をすることになっても、大丈夫。君がいなくなっても、大雨の日でもどうにかなるから。そもそも、君、何年も前から雨漏れするからゴムであちこち塞いであるのに、君に言われたくないね。


もう15分で着いてしまう。そんなときにふとあちこちスイッチを触ると、入っていたCDが再生された。ちなみにこれは、一度読み込んだらもうCDを取り出せないおそろしいカーオーディオだ。そのときに流れたのがこれだ。

Adriana Calcanhottoの『Fico assim sem voce』という曲である。ずっと前に好きだった曲をふいに聴いて、感極まって涙がこぼれる。

10年以上前、世界中の音楽をたくさん聴いて”好きな曲探し”をしていたときに見つけた曲だ。でも当時は無理をしていたと思う。もっと穏やかに、急がずに、過ごしていい。”大好きな何か”とか、”自分”とか、知りながら少しずつわかるものだ。


心が動かされるようなモノは身近にも散在していて、美しいものを美しいとわかり、みとめられるように、まっすぐに生きていきたい。何かに夢中になって、何かを忘れて、それでもまた生きていきたいと思える、芸術や自然にふれていたい。自分なりに体現したい。


『Fico assim sem voce』という曲名は訳すと、『あなたなしでは私はこんな感じ』といった意味らしい。なに、君がいなくなったって、朝食も作れたもんね。これは違う歌だ。でも、一緒に居た時間は、家族以外のだれよりも長い。


車中泊明けの朝


そして、とうとう着いてしまった。車屋に。

「この金額になってしまうと……そうですよね」という店員の話に同調する。しかし、あたりまえで自然な決断かもしれないけども、ボルボを急に失うことについて考えると、言葉にならない気持ちが胸を詰まらせた。


「あの……どこでもいいので、できたらでいいので、部品とか、残しておいていただたら……送料とか払いますんで。」


考えるより先に、言葉が出た。が、「廃車にすると(部品を取っておくのは)難しい」と店員に言われた。しかたがない、か。それにしても、いまさらだけど君、急にいなくなるなあ。なあ……


「よろしくお願いします」


店員に挨拶を済ませると、1枚の写真を撮ってから雨の中を自転車で帰った。約1時間半かかった。路地裏コースをあえて走ってみたり、ふだん乗らない自転車の可能性を探ることができた。一方で、君がいなくなってしまうことで変わっていく生活を実感した。洗車をあまりしていなくて、ごめん。


これから無職になるというのに、貯金も、車もなくなってしまった。それでも心が動かされる、日々の瞬間を見逃さないよう、静かな暮らしと、ブログは続けていこうと思う。


同じ色で、魂を受け継いだぞ。おつかれさまでした。また、元気で。


バトンタッチ

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