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「真の自己愛」を教えてくれた推し活

私は都内国立大学に通う4年生。
アイドルオタクを卒業します。

コロナ禍が始まった2020年に大学に入学した私は、
外出もままならない中、一人暮らしの無機質な日々を彩る何かを必死で模索していました。

大学同期にも会えない。オンライン授業もつまらない。
何のために必死に勉強して、東京までやってきたんだろう。
こうした鬱々とした思いの中、YouTubeをだらだらと見ていました。

コロナ禍を機に爆発的にヒットした「THE FIRST TAKE」。
「そういえば最近、よくこのタイトルを目にするな。」
ふとした思いから開いたのは、DISH//の「猫」でした。

今思えば、このふとしたきっかけから私のオタク生活は始まりました。
DISH//きっかけにスタダのアイドルを見はじめ、女ドルにも手を出し、地下アイドルの現場にも行きました。遠征もしました。最終的にはJ事務所のデビュー組とJr. 両方のオタクをしました。

はたから見て、たった3~4年間でこれだけのアイドルに熱中し、
大学生活の貴重な時間やお金を大量につぎ込み、
友人や親族との時間を時に犠牲にしてきたことは異常だと思います。

しかしなぜ、私はこの大切な3年間をドルオタに費やしたのか。
それを考えた時に浮かんだのが「推しを推すことで、自分を好きになれたから」でした。
よく「推しが本当に好きなのではなく、推しを推している自分が好きなのではないか?」という問いかけを目にしますが、まさにそれです。


今もですが、私は自分のことが大嫌いです。
顔も体形も声も嫌い。優柔不断で周りの目ばっかり気にする性格が嫌い。
周りの人に素直に感情を出せないところが嫌い。平凡なところが大嫌い。
何度「親はなぜ私のことを産んだんだろうか?」と問いかけたことでしょうか。軽はずみな”愛”だとか、「子育てを経験することで自分自身が成長したい」というエゴから私のことを産んだんだとしたら、許せない。そう思うぐらいでした。もっとも、そういう風に責任を親に転嫁してしまう自分も嫌いでした。

ただ、推し活をしているときは違ったんです。
人が持っていないグッズやチケットを手に入れることができれば、周りからうらやましがられる。
たくさん遠征して、同じ公演に何回も入って、Twitterでレポ流したりブログ書いたりしたら、周りから認められる。
面白いカンペを作ってミーグリをしたり、推しからリプ返をもらっていたりしたら「さすが」と褒められる。
デビュー組をJr.の頃から応援している自分はえらい。
グループの中では決して人気メンとは言えないこの子を推している自分は、センスがある。

「推し活」って、本来「推しのことが素敵・好きだと感じた」という感情から始まるものですよね。私もおそらく最初はそうでした。
しかし、私の3年間の推し活は本来あるべき「推しと私の世界」ではなく、「推しを推している”センスある”自分とそれをうらやましがる・認める周りのオタクとの世界」にいつしか変わっていたんだと思います。

推しのために”努力”や”行動”できる自分が好きだから、オタ活にのめりこみました。そうして行動することで周りから称賛を得られたから。
いつしか「ドルオタであること」がアイデンティティになっていました。
逆にオタクをしていないと、自分が周りから認められない気がして。

推しとのミーグリやライブに向けて準備したり、いろんな遠いところに行くことは本当に楽しかったです。
恥ずかしながらそれまで身なりにあまり気を使っていなかったのですが、オタクになって初めてファッションやメイクについて学ぶようになりました。
こうして推しや自分にお金をバンバン使うのが、楽しくて楽しくてしょうがなかったです。それまで親の言うとおりに、受験勉強や部活をこつこつこなすことに精一杯でした。欲しいものも欲しいと言えませんでした。
その反動が、一気にやってきたんだと思います。
3年間、必死にアルバイトをして103万ギリギリまで稼いでいましたが、
真剣に稼いだお金もほとんどグッズやチケ代に消えていきました。

就職活動を終え、オタク同士のマウント合戦や金銭的なきつさを実感し「オタ活を見直そう」と思った今。
ここまで3年間は「推しを推す」ことでしか周りから認められず、自分のことを好きでいられないと思って生きてきました。
しかしながら、別に「自分の生き方に誇りを持つ」ことや「自分を好きでいる」ことは自分だけでやってもよいのではないか。やっとそう思えるようになりました。

もちろん、世の中には素敵なアイドルやタレントの方がたくさんいらっしゃいます。私がほんの短い時間、応援させてもらった方々も全員素敵でした。
しかし、私は私を愛するために、彼ら・彼女らに依存することから卒業しなければならない。今は不思議とそう思います。

これからの生活がどのようなものになるのかはわかりません。
ただ、今後は自分に「推し」がいなくても自分を愛していいんだよと言い聞かせていきたい。そう思います。

こうして「好きなものを応援する」ことで「自分を好きになる」ことを許してくれたドルオタ生活。3年間本当にありがとう。さようなら。

私はオタ活がなくても「自分を自分で愛せる人間」になれるよう、次のステップにいけるよう、精進したいと思います。
これからの人生、真に自分を愛して、幸せに生きていけますように。






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