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胸の高鳴りは蹄音と共に - 『ドリーム・ホース』

スマホゲーム『ウマ娘』を遊んだことでリアルの競馬も始め、いつのまにかゲームより競馬に入れ込むようになっていた。そんな人は結構いるのではないだろうか。

いかにも、俺がそのひとりだ。ウマ娘のほうは毎ターンおみくじを引くような運が強すぎるゲーム性に嫌気が差してやめてしまったが、競馬は運ゲーであっても面白い。熱狂できる。ビデオゲームと違って、競馬に最適解を求めることはできないとハナから分かっているからだ。競馬とは必勝法の存在しないピュアなギャンブルであり、ギャンブルとは未来の不確定性に希望を見出す行いだ。だからだろうか、競馬にはゲームとは全く異質な熱が存在する。

蹄に宿るその熱が、ときに多くの人生を暖める。『ドリーム・ホース』はそんなハートフルな映画だった。年初のシンザン記念で負けたのでゲン担ぎに観に行ったのだが、こんな良い映画を観られたなら負けて正解だったかもしれない。

嘘、勝って観に行ったほうが良かった。

※以下には、『ドリーム・ホース』の完全なネタバレが含まれる。実話ベースなのでネタバレもへったくれもないが、覚悟を決めることだ。

イギリス・ウェールズ、谷あいの小さな村。夫と二人暮らし、パートと親の介護だけの “何もない人生”を送っていた主婦ジャン。ジャンは馬主経験のあるハワードの話に触発されて競走馬を育てることを思いつき、村のみんなに共同で馬主となることを呼びかける。週10ポンドずつ出しあって約20人の馬主組合となった彼らの夢と希望を乗せ、「ドリームアライアンス(夢の同盟)」と名付けられた馬は、奇跡的にレースに勝ち進み、彼らの人生をも変えていく。

公式サイトより

馬で始めるセカンドライフ

ブラックアウトした画面に、低い音が小さく響く。ド、ド、ド。心音のようにも聞こえるその響きは次第に増えて、大きくなる。ドドドド、ドドドド。疾走する馬の襲歩ギャロップが刻む三拍子。割れんばかりに膨らんだ蹄音が最高潮に達したとき、ゴールに入線した馬の姿が一瞬映し出され、音が消える。直後、再びブラックアウトした画面に一言。

Based on a true story.

痺れるオープニングだ。

ただ、先に断っておく。『ドリーム・ホース』はこのオープニングとレースシーンを除いて、おそらくは意図的に地味な画作りをしている映画だ。スペシャルウィークやトウカイテイオーといった名馬を擬人化し、その活躍をスポ根チックに脚色したアニメ『ウマ娘』のような若々しいドラマや派手な演出を求めると肩すかしを食らう可能性がある。ジャンルが異なることをあらかじめ認識しておいたほうがいい。

競走馬に夢を託した人々が前向きに変化する姿を描く。『ドリーム・ホース』は華やかになりすぎない素朴なサクセスストーリーだ。

本作の冒頭では、主人公のジャネット・"ジャン"・ヴォークスの人生がどれだけ冷え切っているかを伝えるために、日常生活の様子が流れる。馬の映画であることを忘れそうになるほど長く続く、無味乾燥としたシークエンスだ。ジャンは毎日夜明け前に起床し、寂れた通りを歩く。客もまばらな早朝からスーパーでレジを打ち、夜は地元のパブでバーテンダー、空いた時間で老親の世話──穏やかだが単調な繰り返し。退屈であることをすっかり受け容れ、風化に身を任せるようなウェールズの寒村。ジャンの夫であるブライアンは、日がな一日働かずにソファに座ってテレビを眺めている。

味気ない人生に飽き飽きしたジャンは、競走馬の育成を決意する。何を隠そう、彼女はかつて鳩レースのブリーダーだったのだ。

気性難の牝馬、ルーベルを350ポンドという格安で買ったジャン。最初は渋々付き合っていたブライアンも、やはり農夫の血が騒ぐらしい。普段の怠惰さが嘘のように活き活きと馬の世話をするようになった。そうして種付けまで済ませたものの、ルーベルはたった一頭の仔馬を生むと同時に亡くなってしまう。残された仔馬に夢を託し、ジャンは共同で運営する馬主組合シンジケートを作ろうと奮起する。

余談だが、サラブレッドは速く走るためだけに血統をコントロールされているので、生物としては信じられないほど虚弱というのはよく知られていることだ。ルーベルのように出産時に亡くなる牝馬も珍しくない。また、ウマという種族自体が何千年も前に家畜化されており、野生種の馬は現存しない。善悪を問うこともできないが、家畜化とは生き物を自然の淘汰から切り離す行為である。

クラックではなくホウィルを

ブライアンは望み薄だと言った馬主組合は、しかし、約20人の参加者を集めることに成功する。パブのマスター、肉屋の女主人、サラリーマン、飲んだくれの爺さん、独居の老婦人などメンバーは様々だが、ジャンと同じく皆一様に退屈していた。

馬主になったために身を持ち崩しかけた過去を持つ会計士のハワードは、参加者一同に向かってきっぱりと言った。「この馬主組合に入るなら、金を稼げるなんて期待はしないでほしい」と。では何のために?ハワードは続ける。「"ホウィル"のために参加してほしい」村人の一人が聞き返す。「……それって"クラック"のこと?」

本作を象徴する言葉として、"胸の高鳴り"や"お楽しみ"を意味するこのホウィルという言葉がたびたび使われる。

劇中で老紳士が意気軒昂に説明するとおり、craicクラックはゲール語、すなわちアイルランドやスコットランドに由来する言葉であり、ウェールズ人の彼らにとっては外来語だ。一方のwhylホウィルはケルト語派ブリトン諸語の単語であり、ウェールズ人の母語にもとから存在する言葉だ。そのため、老紳士は「ホウィルに敬意を払うように」とも述べている。日常で言語と民族意識エスニシティの結びつきを自覚する機会が少ないからか、映画などでこういう場面を見るたびに俺はなんともいえない興奮を感じてしまう。アファーマティヴ・アクションの(大英)帝国……!

言語のオタクが思わず早口になるこのシークエンスを横においても、ウェールズ人が地元で育てた馬が勝ち上がっていく『ドリーム・ホース』はやはりナショナリズムを強烈に意識した映画だ。劇伴や挿入歌もウェールズのものにこだわっている。また、老婦人が「こんなに嬉しいのはウェールズがイングランドに勝った時以来よ」と言うシーンがあったりして、その主張の強さに思わず笑ってしまった。もちろん、ウェールズがイングランドに勝ったというのは戦争ではない。これはサッカーの話であり、それも1984年のことだ。

なにはともあれ、ホウィルを求めて集った馬主組合の面々は投票で仔馬の名前を決めることにした。大多数の票を集めて決定された彼の名前は"夢の同盟"ドリームアライアンス。田舎者たちの夢を乗せて走る、期待の星だ。

まったくの無名で、血統が特別優れているわけでもなかったドリームアライアンスだが、下馬評を覆して頭角を現していく。彼が舞台とした障害競走は平地競争に比べてマイナーに思われがちだが、ダイナミックな動きがあるので映画的にはとても相性がいい。障害の間近にカメラを取り付け、飛び越す馬に触れられそうなほどの至近距離をローアングルで撮ったりと迫力のあるショットが見られる。

ホウィルがあるから目覚められる

地方のレースで上位に食い込むドリームアライアンス。さらなる活躍が期待されるまさにそのタイミングに大怪我をして未来を失いそうになるが、なんとか一命を取り留める。彼の復帰戦は、なんとウェルシュ・グランド・ナショナルという大舞台だった。18頭立て、距離6000m超、跳び超えなければならない障害の数は22。とてつもなくタフなレースだ。

差し返されそうなのを必死で逃げ続ける最終直線。大接戦の末に掴み取る勝利の栄光と熱狂。ヒーローの誕生に沸く田舎町。アリ・アスター監督の名作ホラー『ヘレディタリー』での絶叫顔が印象的だったトニ・コレットが、『ドリーム・ホース』では恐怖ではなく歓喜の絶叫顔を見せてくれる。

恐怖
歓喜

本作は、サクセスストーリーとしてはかなりありきたりな映画だ。トウカイテイオーとオグリキャップを足して2で割ったような、綺麗にまとまった三幕構成の逆転劇。演出や脚本に大した捻りはないが、これが実話だから仕方ない。こんなありきたりなサクセスストーリーがそれでも十分に感動的なのは、やはり馬のおかげだろうか。動物が出てくる作品に対して涙腺がめっぽう弱くなっていることで、俺は自分の加齢を否応なく実感してしまった。

俺が老けた話はどうでもいい。

『ドリーム・ホース』を通じて描かれるメインテーマのひとつは、人生に絶望しないコツだ。

「馬を育てるまで、私は何者でもなかった」
「私は自分の人生を生きたことがなかった」
「ドリームのおかげで明日目覚める意味ができた」
「ドリームが私たちにホウィルをくれた」

正確には覚えていないが、ジャンが語るこうした言葉は生きていく上で本当に大切な心構えだと思う。なにも馬でなくてもいい。人には、明日目覚めるための胸の高鳴りホウィルが必要だ。

もちろん、ただ生き続け、働き続け、稼ぎ続けることだって不可能ではない。そうして、いつか必ずやってくる死に向けてライフステージ──俺の苦手な言葉だ──を無心に進めることだって不可能ではないだろう。けれど、そんなことばかり繰り返していると人は虚無と絶望の暗黒に囚われてしまう。冒頭のジャンのように。そんな薄ぼんやりした有様を"生きている"と呼ぶのは、俺は御免被りたい。

なんだっていい。自分の手で何かを選び取って不確定な未来に希望を賭けることが、人生にホウィルをもたらす。明日を生きるに値するものにしてくれる。

たとえば、俺にとってのホウィルは、今日遊ぶゲームや明日観る映画、あるいは三連単の組み合わせを選ぶことだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。外れて悔しい思いをすることもあるけれど、その選ぶという行為自体が間違いなく楽しい。こんな振る舞いはいかにもオタクっぽくてチープに思えるかもしれないが、これを断つくらいなら俺は速やかに安楽な死を選ぶ。

この文を読んで、『ドリーム・ホース』を観ることがあなたにとってのホウィルになれば幸いだ。


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