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雑記:エンタメが病を扱うとき

ヒトはあらゆるものをエンタメにできる。文字通り、あらゆる・・・・ものをだ。それは善悪を問わない。美醜も問わない。どんな美徳も悪徳も、生も死も、天国も地獄もエンタメとして描き、楽しみ、この憂き世をつかの間でも笑い飛ばすことができる。それは人類に備わった最強の防衛機制だ。

けれど、倫理がそれに竿をさす。これを楽しんでいいのか?という疑いが首をもたげてくる。だから、倫理とエンタメは根本的に食い合わせが悪い。俺が最近それを実感したのは、アニメ『君は放課後インソムニア』を見ていたときのことだ。

タイトルのとおり、これは不眠症をテーマとしたアニメだ。眠れない高校生男子の中身(わかりにくいが"なかみ"という名字だ)が、同じく不眠症をわずらうヒロインの曲(これもわかりにくいが"まがり"という名字だ)と出会う。同じ病を抱える者同士がつながり、絆を深め、恋に落ちる。その過程で、廃れていた天文部を復活させたり人間関係が広がったり、中身と曲の青春は彩り豊かになっていく。そんな話だ。

『放課後インソムニア』は地に足のついたアニメだ。同じクールで放送している僕ヤバのアニメと比べると、相当地味に見える。でも、これはこれでいい味を出している。親近感がある。高校生の恋愛なんてこれくらいぎこちなかったりせわしないもんだよな、と思い出させてくれる。aikoが歌うOP曲もこざっぱりとして良い。

しかし、俺はあまり楽しめていない。むしろ、どこか苛立っている。このアニメにおいて、不眠症は恋愛を成就させ青春を色づけるためのフレーバーにしかなっていないように見えるからだ。『放課後インソムニア』には不眠症の苦痛を伝える描写がちょっと、いや、だいぶ不足している。

目の下にクマを作っていたはずの中身少年が、昼日中から大声を出したりする。血色もすぐに良くなる。彼くらい酷い不眠なら昼間は夢か現かもわからず、誰とも話したくないくらいグッタリとするものだと思うが、中身少年は見かけによらずタフらしい。

それ以降の話を見ても、中身や曲が不眠による実害──頭痛や肌荒れといった身体的な苦しみ、不眠をきっかけとする抑鬱や絶望感といった精神的な痛み、あるいは勉強に集中できず成績が悪化するような社会的な辛さ──に悩まされるような描写は減っていく一方だ。彼らは実に順調に寛解していく。

そもそも作中では『眠れない』ことが辛いように描かれているが、それは半分正しくて半分まちがいだ。不眠が引き起こす弊害のほうがまずいことだってざらにあるのだから。

眠りたくても眠れなくて、そのせいで自分の世界が壊れて、壊れた世界でまた眠れなくなる。それが本当に辛いのだけれど、このアニメの世界はうざったいほどに綺麗なままだ。ちゃんと壊れてほしい。でないと、カタルシスがない。

深夜の通話は背徳的で楽しいものだ

ほとんどの人は本作における不眠症の扱いなど気にも留めないだろう。なのにそんな些細なことが気になるのは、俺がNeverAwakeManだからだ。

……いや、自己紹介をしたいわけではない。このハンドルネームが示す通り、俺も不眠と過眠とは長い付き合いをしている。NeverAwakeManであり、NeverAsleepManというわけだ。幸いにしてまだ社会生活を破綻させるレベルには達していないものの、こんな体質はあるよりないほうがよっぽどいい……色々なものを失ってきた。そういう立場からすると、『放課後インソムニア』は不眠症を軽く扱いすぎだ。

不眠症にまつわるネガティブな部分を大して描かず、それが青春のダシとしてポジティブに使われているというのは、当事者としてはまるで愉快じゃない。個人的な地雷をかなり強めに踏まれている。俺が高校時代に空けた睡眠薬の空箱たちが哀れじゃないか。

思うに、実在する病をエンタメで扱うというのはこうした地雷を踏む問題を常に孕んでいる。しかし、それをどこまで許すかは結局、その時々のなんとなくな空気感にまかせるほかないのだろう。そしてやりすぎた場合もまた、空気感にまかせて炎上したりしなかったりする。バックラッシュを喰らうかどうかは半ば運次第だ。

ちょっと話は逸れるが、メンタルヘルスをカリカチュアしエンタメにしたゲーム『NEEDY GIRL OVER DOSE』がキャンセルカルチャーの餌食にならなかったのはかなり奇跡的だった(アートがいいから許されている空気もある)

恋をして不眠症が解決するという『放課後インソムニア』の筋書きそのものも不愉快だ。業腹である。

不眠の原因は人それぞれなので、恋愛というソリューションが100%間違っているとはいえない。愛してくれる人の存在は本当に心強いものだ。しかし、運動療法をあつかましく押し付けてくる体育教師のことを中身少年が冷ややかに見ていたのを考えると、ちょっと都合がよすぎやしないか。おまえ、もし曲とイチャつけなかったら、ずうっと不眠だったのか?ふつうに考えて、見つかるか分からない恋より一人でできる運動のほうがよほど理性的な対処法じゃないか?

むしろ恵まれてないか?

中身少年は、自分が問題のある生徒だと思われたくないために現実的なアプローチを拒んだ。曲もそうだ。そんな彼らが恋をして、触れあえば病が癒える。この構図は間違いなくエンタメで、売り物になる。しかし、俺にとってそれはどうしようもなくグロテスクで、スピリチュアルで、プリミティブだ。もっとフェアに、誠実に、本気で不眠症と向き合ってほしいのだけれど、そんなアニメが面白くなるような気もしない。

繰り返すが、エンタメと倫理は食い合わせが悪い。漫才で『誰も傷つけない笑い』をやるのが難儀であるのと同じで、誰かが愉快な思いをする裏で別の誰かが割を食う。今回はそれがたまたま俺だっただけの話で……恨むなら手前の狭量さを恨むがいい。

最後にひとつ。厚生労働省は不眠症に対して恋愛ではなく適切な薬物療法を推奨している。苦しいときに薬に頼るのは決して恥ずべきことではない。

e-ヘルスネットより


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