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復讐するは我にあり - 『THE BATMAN』

世界最高の探偵。これがバットマンを指す異名の一つだと知っている人はあまり多くないかもしれない。だが、これはアメコミトリビアなどではない。ケープをはおった救世主、マチス・マローン、ダークナイト等に並ぶれっきとした呼び名であり、DCコミックスの公式サイトでも紹介されている。

スーパーマンやワンダーウーマンと比べ、単純なパワーレースについていけないバットマンを金だけのオッサンと揶揄する映画ファンには正直辟易としている……が、これまでの映画化作品でバットマンに探偵らしいことをあまりさせてこなかったDC側にも非はあるかもしれない。特に『バットマンVSスーパーマン』と『ジャスティスリーグ』でベン・アフレックが演じたバットマンは金と技術にモノを言わせるだけのコミュ障という印象が強く、劇中でブルース・ウェイン本人がそれをネタにするシーンさえ存在しているくらいだ。

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逆に、ゲーマーにとっては、世界最高の探偵という異名は馴染み深いかもしれない。というのも、今までで最も高い評価を得たスーパーヒーローゲームとしてギネスにも記録されている『バットマン:アーカムシリーズ』では、プレイヤーはバットマンを操作し、ヴィランが仕掛けた様々な謎に挑むことになるからだ。異常な殺され方をした市民をハイテク機器で検視したり、現場の証拠から事件発生時の状況を再現したりと、探偵らしいムーブが詰め込まれている(それと同じくらい脳筋ムーブもする)。登場キャラの中にはバットマンのことを探偵ディテクティヴと呼ぶ者もおり、彼が力押しのゴリラ系ヒーローではなくむしろ頭脳派として認識されていることが分かる。

なので、バットマンの単独映画である『THE BATMAN』が探偵要素にフォーカスしていると聞いたときから俺の期待は高まっていた。しかも、今回のメインヴィランはリドラーときた。ゲーム史上最も悪名高い収集要素のひとつであるリドラーチャレンジ(クソ広いオープンワールドのあらゆる場所にリドラーのナゾナゾが何百個も隠されている)のほろ苦い記憶が蘇る。プレイヤーにとってある意味最大の敵だった彼が映画でどのように解釈されるのか、楽しみで仕方がなかった。

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『アーカム・ナイト』のリドラーは過去最凶

※この先ではザ・バットマンの完全なネタバレを行う。読み進めても一向に構わないが、覚悟を決めることだ。

I am Vengeance

バットマンを構成する重要な要素といえば、犯罪に対する情け容赦ない姿勢だ。どれだけ傷つこうとも、バットマンは決して妥協しない。自分こそがゴッサムを守る騎士であるという覚悟のもとに意志を貫く。この強すぎる意志が周囲の人間との間に溝を生み、観客はその光景にやきもきさせられる……というのもこれまでのバットマン映画ではひとつの見どころだった。しかし、今回は一味違う。ロバート・パティンソン演じるバットマンの覚悟はほとんど狂気と見分けがつかないほどにキマっており、もはや観客との間にさえ溝を生んでしまうほどなのだ。

冒頭、ハロウィンを迎えたゴッサムシティ。一般市民に絡むギャングの目の前に現れたバットマンが、硬そうなグローブで彼らをタコ殴りにする。殴り返されたら、何倍にもして叩きのめす。こんなチンピラ相手ならもっとスマートに片付けることもできただろうに、明らかにオーバーキルだ。この時点で、バットマンの異常性が強く印象付けられるだろう。お前は何者だと怒鳴るギャングに、バットマンはたった一言で答える。

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ヴィジランテとして犯罪狩りを始めてからたった2年、信用できるのはゴードン警部とアルフレッドだけという若きバットマンは、犯罪に対する復讐心を燃料に駆動するマシンのようだ。御身を案じるアルフレッドに対して、ブルースは「家族の遺産を継いでいるところだ」と、ニコリともせずに言い放つ。張り詰めたその姿からは、家族を喪った傷は癒えていないどころか、自らその傷を抉って痛みを刻みつけていることが伺える。

マスクやスーツで公私を切り替えるヒーローは数多く、そのギャップをテーマとする作品も多く存在する。ノイローゼになったトニー・スタークが四六時中スーツを着るようになってしまった『アイアンマン3』と、スーツにまつわる教訓をトニーが語って聞かせる『スパイダーマン:ホームカミング』は、そうした映画の好例だ。

一方、ザ・バットマンの主人公は、ウェインマナーに帰りマスクを外してからも目元の隈取を取らず、一心不乱に捜査活動を続けている。このシーンは、ブルース・ウェインとバットマンの境目が曖昧になっていること、もっと言うなら"バットマン"という在り方がブルース本来の人間性を侵食しつつあることを示唆している。プレイボーイとして社交界を賑わせることも、自身の会社の経営に興味を持つこともなく、キマった目で復讐に邁進するブルース・ウェインの姿は、観客の第三者的視点から見ても「あっこの人だいぶヤバいな」と思わせるスゴ味がある。

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ヒーローがしていい目つきではない

バットノワール/バットサスペンス

アメコミ映画はこの十数年で定型がおおよそ固まっており、長年のファンであればシリアス、コメディ、アクションの一連の流れが掴めるものだ。一方、ザ・バットマンの構成は3時間という長尺も含め、かなり異質な仕上がりになっている。

とにかく暗く、重く、苦しい。贅沢に尺を使った長いワンカット、影の演出にこだわり抜いたライティング、特徴的な旋律が繰り返される重厚な劇伴などのおかげで、本作はDCコミック特有のゴシックな陰鬱さをさらに深めている。ゴッサムの闇を牛耳るマフィアのボス、カーマイン・ファルコーネが現れるシーンなどはほとんどゴッドファーザーだ。

カーマインといえば、彼のもとにカチコミにきたバットマンが暗闇の中でマフィアの手下と乱闘するシーンは最高の見どころの一つだろう。発砲炎の光で乱闘の様子をコマ落とししたように見せるのは、コミックでの小コマ連発表現を映画に落とし込む表現として、鳥肌が立つほど格好良くキマっていた。

このように、アメコミ映画でありがちなエンタメ/コメディの要素を削ぎ落し、その代わりにコッポラ風ノワールフィンチャー風サスペンス古典的グラフィックノベル描写を詰め込んだザ・バットマンは、かなり人を選ぶ作品になっているだろう。そのため、アメコミ映画らしくない、バットマンである必要がないという意見もちらほら見かける(この場合のアメコミ映画らしさとはマーベル映画によくある軽いノリのことを指しているのだろう)が、これは2019年の『ジョーカー』公開時と重なる光景である。受け容れるのにはいつだって時間がかかるものだ。

個人的には、アメコミの代名詞ともいえるバットマンでここまで強烈なスタイルを貫徹した功績を純粋に称賛したい。『BvS』や『ジャスティスリーグ』(特にジョス・ウェドン版)の中途半端さが今更になって悪目立ちしてしまうほど本作のダークさは振り切っており、ハマる人はとことんハマるはずだ。

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また、”嘘”と”復讐”というキーワードを軸に、ゴッサムシティとブルース自身をも巻き込む壮大な探偵劇も素晴らしい出来栄えだった。

ゴッサムの嘘を暴くと称し、リドラーが繰り広げる劇場型犯罪。バットマンはリドラーの残した猟奇的な謎を解き、その正体を辿る。暴力も辞さない捜査の果て、なんとか突き止めたゴッサムの嘘とは、思わず目を背けてしまいそうなほどに昏く深い闇だった。すなわち、ブルースの両親であるウェイン夫妻のスキャンダルに端を発する街ぐるみの巨大な汚職と、その過程で見捨てられた無数の孤児。ゴッサムを守る篤志家であるはずのウェイン一族の醜聞は、バットマンのアイデンティティを根底から揺るがす致命の一撃となる。

二人の復讐鬼

本作のリドラーはアーカムシリーズの面白ナゾナゾおじさんから一変し、バットマンと表裏一体の復讐者として迫力満点に描かれている。具体的に言うなら、バットマンの強すぎる復讐心に触発されて生まれたヴィランがリドラーであるという構図だ。どちらもウェイン夫妻の死を契機に人生を狂わされており、資産家の御曹司であるブルース・ウェインはヴィジランテとなれたが、社会に認知されない孤児として生き地獄を味わったリドラーは違う。ブルースの復讐対象はあくまで犯罪であるが、それは彼がたまたま裕福に生まれつき、社会に愛された"持つ者"だったからに過ぎない。しかしリドラーにとっては、自分のような”持たざる者”を生み出した上、あまつさえその存在を隠し、嘘を吐き続けるこの社会こそが復讐すべき悪である。彼の視点からすれば、自分もバットマンと変わらぬヴィジランテであるはずだ。

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高速道路をメチャクチャにする大事故を起こしてまで犯罪者を追い詰めるバットマンと、葬式中の教会に車を突っ込ませるリドラー。本質的には、どちらも復讐に取り憑かれた狂人フリークスに他ならない。『殺人を犯すかどうか』という一線だけが、ギリギリのところで二人を分かつ。それは本当に脆く、危ういボーダーラインだ。

生まれの差や育ちの違いといった先天的で偶発的な要因が容易に人を歪め、格差を広げ、その行く末を捻じ曲げる。これは、自由と平等を掲げているはずの現実社会において未だ改善されることのない最悪の病巣である。しかもたちの悪いことに、この問題は根深すぎるあまり、ほとんど常に見過ごされ続けている・・・・・・・・・・。その欺瞞へ鋭く切り込んだという意味で、やはりザ・バットマンはジョーカーに連なる作品といえる。今の世界の酷い有り様を見るに、同様の試みを行う社会派アメコミ映画はさらに増えていくのではないだろうか。

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終盤、リドラーに共鳴するテロリストを取り押さえ、バットマンは正体を問いただす。リドラーと同じ不格好なマスクで顔を隠した”持たざる者”はたった一言で答える。

「俺は"復讐"だ」

その言葉を聞いたバットマンは、ついに己の過ちを思い知らされる。今まで為してきた復讐が、その実新たな悪を生む苗床になっていたという過ちに。復讐が復讐を生むというのはありがちな言い回しであるが、それは甲乙間での単純な復讐の連鎖にはとどまらない。ある復讐が正当化されてしまえば、本来果たされるべきでなかった無関係な復讐にも火がつき、やがては世界を焼き尽くしてしまう。それこそが真に忌むべきカルマなのだ。

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『復讐するは我にあり』という言葉は有名だが、『働かざる者食うべからず』と同じくらい誤解されている。本来は、復讐は神にのみ許された行為であり、復讐が平和を生むことはないというような意味だ。したがって、人がヒーローとして闘うときにその者を衝き動かすのは復讐ではなく、あくまで自己犠牲と奉仕でなければならない。

できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
―ローマの信徒への手紙12章18節〜19節(新共同訳)

犯罪狩りの果てに自らの罪を見出したバットマンが最後に行ったのは無名の悪への復讐ではなく、大洪水(これも聖書的なモチーフだ)へ飛び込み一人でも多くの人命を救うという、純粋な善行だった。それまで闇に闘い続けたバットマンが光を掲げて人々を導き、改悛のモノローグと共に朝焼けの空を見上げるラストシーンは、復讐心を捨て去ったヒーローの目覚めを予感させる、実に象徴的な光景である。

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最後に余談だが、ザ・バットマンでリドラーが運営していたwebページは下記のリンクの通り実在している。ここではリアル謎解きゲームを行うことができ、詳細は省くが、先日一連の謎解きが終了した。その結果、現れたのは25文字しかないアルファベット表であり、欠けていた文字は"J"とのことだ。

次の役者は、つまり、そういうことなのだろう。

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