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言語コードとぶぶ漬け

飲み屋さんに行った時、配信アプリを見ている時、
たまに、”人の発言”に関して気になることがある。
「○○だから○○して」ではなく「いいから○○して!」と頭ごなしに自分の言い分を通そうとしている人がいる。
この現象どこかで聞いたことあるよな・・・と思い、大学時代に習った教育社会学のノートを眺めていたら。解決した。
限定コードと精密コードだった。

限定コードと精密コード

以下、引用

バーンステインの理論のなかでも、最もよく知られているのがこの限定コード、精密コード論である。バーンステインが明らかにしたところによれば、家庭生活のなかで中産階級出身の子どもは精密コードと限定コードの使い分けを身につけ、労働者階級出身の子どもは限定コードのみを身につけ、結果として、精密コードを用いる学校教育では、低労働者階級出身の子どもが落ちぶれてゆき、「身分にふさわしい労働」へと身を投じていくのである。 簡単に言えば、精密コードは、物事を客観的、抽象的、人格的に述べるコードであり、限定コードは、物事を主観的、地位的に述べるコードである。

https://www.weblio.jp/content/%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%9A%84

説明だけ読むと難しい話かもしれないが、簡単な例文を提示すると分かりやすいだろう。

限定コード
子どもを寝かしつける際に、「どうして早く寝なければならないの?」と尋ねられた場合、「早く寝ろと言っているのだから、早く寝なさい。親の言うことが聞けないのか」と応じるのが限定コードである。
精密コード
「早く寝ないと、朝起きるのが大変でしょう。今朝も眠いと言っていたじゃない」と応じるのが精密コードである。

大人になっても精密コードを使いきれない人がいる、それは子供へも影響しているんだろうなと考えると可哀想だなと思う。
ただ、どうだろうか、精密コードで話し続けると、とても面倒くさいと思われるかもしれない。社会では時として限定コードの方が人間関係が円滑にするのかもしれない。

日本には古来から『言い回し』があるではないか。

ぶぶ漬けの話は聞いたことあるだろうか?
実際に使われていたかどうかは置いておいて、京都の話で、『本音と建前』が分かる話がある。

ぶぶ漬けとはお茶漬けのことです。京都の人の家にお邪魔して用事が済んだ頃、「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われたので待っていると、ぶぶ漬けはいっこうに出てきません。これは「早く帰りなさい」と暗黙に伝える言葉であり、正直に待っている客を 空気の読めない無粋な人 と陰であざ笑うという、上方落語などのネタにもなっている話です。

京都人の「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、今でも本当にあるのか?(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

「ぶぶ漬けどうですか?」が「そろそろ帰ってください」という言い回しを日本人はしてきたではないか。でも、その文化も近年ではあまり耳にすることはない。いっそのこと、ストレートに言わないと伝わないときの方が多い。ただストレートに言うと傷つく人も出てくる。難しい。

言語コード論もコミュニケーション論も近年に合わせて、考え直す必要があるのかもしれない。


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