言語コードとぶぶ漬け
飲み屋さんに行った時、配信アプリを見ている時、
たまに、”人の発言”に関して気になることがある。
「○○だから○○して」ではなく「いいから○○して!」と頭ごなしに自分の言い分を通そうとしている人がいる。
この現象どこかで聞いたことあるよな・・・と思い、大学時代に習った教育社会学のノートを眺めていたら。解決した。
限定コードと精密コードだった。
限定コードと精密コード
以下、引用
説明だけ読むと難しい話かもしれないが、簡単な例文を提示すると分かりやすいだろう。
限定コード
子どもを寝かしつける際に、「どうして早く寝なければならないの?」と尋ねられた場合、「早く寝ろと言っているのだから、早く寝なさい。親の言うことが聞けないのか」と応じるのが限定コードである。
精密コード
「早く寝ないと、朝起きるのが大変でしょう。今朝も眠いと言っていたじゃない」と応じるのが精密コードである。
大人になっても精密コードを使いきれない人がいる、それは子供へも影響しているんだろうなと考えると可哀想だなと思う。
ただ、どうだろうか、精密コードで話し続けると、とても面倒くさいと思われるかもしれない。社会では時として限定コードの方が人間関係が円滑にするのかもしれない。
日本には古来から『言い回し』があるではないか。
ぶぶ漬けの話は聞いたことあるだろうか?
実際に使われていたかどうかは置いておいて、京都の話で、『本音と建前』が分かる話がある。
「ぶぶ漬けどうですか?」が「そろそろ帰ってください」という言い回しを日本人はしてきたではないか。でも、その文化も近年ではあまり耳にすることはない。いっそのこと、ストレートに言わないと伝わないときの方が多い。ただストレートに言うと傷つく人も出てくる。難しい。
言語コード論もコミュニケーション論も近年に合わせて、考え直す必要があるのかもしれない。
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