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フルニトラゼパム(3)

グッとドアを押して開けると、そこには、昨日新宿で会った少女がいた。あの日と同じ制服で、あの日と同じアネロの黒いリュックだ。
「本当にきた」壁のタイルにもたれかかっていたミィは、手元のスマホから顔をあげる。
「仮にさぁ……ここでウチがグループで待ち構えてたらどうすんの?羽村佐和子さん」
「それは……、私も想定済みだよ?今井美咲さん」
HNハムちゃんこと私、羽村佐和子は、ブレザーのポケットからカッターナイフを見せる。
HNミィこと今井美咲は初めて笑った。入学式のアルバムで相手の本名を把握してきたのはお互いだったようだ。
「そゆの、冗談でもやめてよね」私はカッターをしまう。
耳をすませて、誰の足音も近づいてこないことを確認する。大丈夫、誰もこない。
目を合わせて私たちはどちらからともなくいちばん奥の個室に入る。車椅子用の少し広いトイレだ。
鍵をかけたうえで、もう一度よく耳をすます。大丈夫、やっぱり誰もこない。
私はカッターを出したのと同じポケットから、キティちゃんのポチ袋を取り出す。
「あの、一応、中身確認してね」
ジェネリックだけど。と言い終わる前に今井さんはポチ袋をさかさまにして中身を手のひらに出す。
「うん2ミリで2シート、間違いないよ」
今井さんは口元に笑みを浮かべて、アネロのリュックからツモリチサトの財布を取り出した。
「7000円。ちょうど」
「あの、わかってると思うけど、他言禁止でお願いね」
「もちろん。お互いね」
売り手としての私のセールスポイントは、客との信頼関係を重視しているところだ。数いる売り手の中から私を選んでくれた客のチクリや晒しをすることは、自分の道義に反する。
「てか、すごいね、羽村さん」
今井さんは慣れた手つきで2シートをアネロの内ポケットにしまう。
「な、何が」
「メッセのやりとり、ちゃんと大人っぽい文面が書けるの。何々致しますとか、ございますとか。ウチ無理だわあ、大人が取引先とメールする感じのちゃんとした文章。昨日新宿で同じ制服の人に声かけられてびっくりしちゃったよ、てっきり20代とか30代の人かと思ってたもん」
そう言われて少し安堵する。どんな取引相手とも、メッセをやりとりする段階ではできるだけ自分の性別・年齢・住んでいる地域などの情報をチラつかせないように意識しているのだ。それこそ今井さんの言う『大人が取引先とメールする感じ』だ。
「文章がちゃんとしてないとDMの時点でナメられるの。だから最低限はと思って」
「あーね」
今井さんはスクールカースト上位の子たちみたいな言葉を使うから、きっと実際クラスでもそうなんだろう。
「あとさ、いろんな人に売ったから、慣れたよ」
「ウケんね」
「う、ウケないでよ」
「ハム子って呼んでいい?」
「それこそウケるんだけど……」
今井さんは、ブスでもないけどかわいくもない。モデルみたいに身長が高いわけでもない。でも、「愛嬌」がある。きっと多くの人に愛されているであろうことは、今こうして顔を合わせているだけでもじゅうぶんわかる。
「ハム子。このあとどうすんの?」
「え?保健室戻るよ」
保健室の原田先生には、トイレに行くとだけ伝えた。だから私は今トイレに行ってることになっているのだ。腹痛と告げたから、うんこだと思われてるはずだ。まさか薬の取引をしてるなんて思わないだろう。
「トイレにしては長いね」
「そうなんだよね。早く戻らなきゃ」
それじゃあ、またね。と、踵を返した私の手首は今井さんにつかまれる。
そして、愛嬌たっぷりの微笑みをまっすぐ私に向けて、言った。

「ちょっと付き合ってよ」

10分後、私たちは立入禁止の屋上にいた。青い空が見える。
「ハムちゃんさん、が意外と普通に仲良くなれそうなタイプでよかったよ」
どういう意味か考えあぐねている間に、広い屋上のど真ん中で、今井さんはコンクリートにあぐらをかいて座った。スカートが汚れるのも気にしていない。
「保健室登校って言ってたからさ、なんかすっごい鬱屈してるとか、手首が傷だらけとか、そういうタイプだったら、ウチどう接していいかわかんなかったかもね」
ああ、この人は、私と仲良くなろうとしているのだ。まあ、仲良くなって、今後も薬は私から買ってくれるのであれば、売人としては喜ばしい話であるけど。
「鬱屈よりリスカより、これから私たちがやろうとしてることのほうがはるかにヤバイと思うんだけど」
私は今井さんに向かい合って腰をおろす。またトイレのときと同じように、耳をすまして誰の足音も近づいてこないことを確かめる。私たちは顔を見合わせて笑う。
「ミィさん、はメッセの文面がマジ中学生って感じだった」
「そっかー。もっとちゃんとしなきゃだなー」
楽しそうな今井さんは、アネロから、ストロング系の缶チューハイを2本取り出した。
「これはウチのおごりだから」
ありがとうと言って1本を受け取る。最初から2本用意していたのは、自分で2本とも飲むためか、こうして私と分け合うためか。どっちだろう。
さっきの薬を二人で数粒パキパキと押し出す。
「そんじゃ、乾杯!」
何に乾杯するのかはわからないけど、とにかく私たちは乾杯した。
プルタブをあげるとプシュッと爽快な音。
そして握りしめていた錠剤、数粒をそのチューハイで喉に流し込んだ。
「お酒、強いの?」今井さんは平気そうな顔をしている。慣れているといった感じだ。彼氏ともこうやって、乾杯するんだろうと思う。
「親はふたりとも強いらしいから、そういう家系なら私も強いってことになる」
「あんた自身は? 普段飲まないの?」
「うん、未成年だから……」
「真面目かよーッ」
今井さんは持前の愛嬌にくわえてとても陽気になっている。私はお酒をちゃんと飲んだことはないけど、ビール一口くらいで倒れちゃったような経験はないから、たぶん缶チューハイ一口程度なら大丈夫な程度の体質だろう。
「あー、キマってきたキマってきたー」
「なんか、ふわふわしてる……」
私は売り専門なので、「やった」ことはなかった。
合法違法を問わず、薬の売人はきまって、自分自身は薬をやることないという。やらないほうがいいと。そういう小説に書いてあった。ジャンキーたちから金を巻き上げるためには、自分は薬に手を出して正気を失うことはいけないのだそうだ。だから私は、今はじめて、「やって」いる。
「はじめてだ。これ、気持ちいいっていうか、ふわふわするんだね」
「ハム子のODバージンをウチが奪ってしまったなあ」
「ODバージン?」
「ODバージン」
「てかハム子って呼ぶのやめてー」
あ!と何かをひらめいた今井さんが、また新たに一錠をパキッと取り出す。
「このフルトニラゼパム、飲み物に溶かしたら青くなるんだよね」
口に放り込んで、ボリボリと噛み砕き始めた。
「にっが」
「何してるの」
「見てみ、ほら」
あっかんべーと見せられた口の中は真っ青だ。
「ウケる!!!本当に青くなってる!!!」
「写メ撮って撮って」
「私のスマホ普通のカメラしか入ってないよ」
「盛れるやつないのFoodieとかインスタとか」
「ないよそんなのー!ツイッターだけだよー!」
「あっははははははは!」
笑い疲れて、屋上に二人寝ころんだ。さえぎるものが何もなく、大きな空だけが私たちのあやまちを見下ろしている。
「彼氏とキメるよりハム子とキメたほうが全然たのしいかも」
「彼氏エッチうまいのに?」
「うまいけど、ウチがやりたくない気分の時に無理にヤられる時あるもん」
「別れちまえー!!!」「別れちまうぞー!!!」青空に叫ぶ。
身体が重たくなって、思考がどんどん鈍っていくのを感じる。私たちの世界は今、輪郭がぼんやりとしていて、バカで、気持ちいい。
楽しい、大切なものとかも全部手放してしまってもどうでもいい、気持ちいいから。そして、この気持ちよさは、私と今井さん以外の同級生たちは絶対に受信できない、気持ちよさなのだ。
「ねえ今井さん」
「なあにー」
「私の、友達になってくれない?」
今井さんは、ブハハハッと笑って、スマホに何かを一生懸命に入力している。
ピコン、と私のスマホが鳴る。

>>一生心友 11:31

私は即座に返信する。

<<それな! 11:31

今井さんは、ブハハハハ!と笑い、「ねえ、楽しい」と急にしみじみつぶやく。
「わかる」
「なんか、ありがとね」
「本当、本当—にそれな。こらちこそありがとう」
ここにいる私たちが何をしていたのか、このあと眠りこけてしまうのか、お互いの親に連絡がいくのか、全部がどうでも良かった。私たちには今しかなくて、永遠のような一瞬である今を噛みしめて、ここから出られないのだと思った。今井さんがとなりで楽しそうで、おそらく私も彼女と同じ魂のレベルで楽しい。
「ハム子『それな』気に入りすぎでしょウケる!ねえ、キャスでもやっちゃおっか?」
「待ってさすがにそれはラジオモード配信ね」
私たちはまっとうじゃない出会い方をした。でも眠剤をキメている今だけは、私たちは友達でいられる。それが良いことか悪いことか、わからないけど。
降り注ぐ太陽の下で、はしゃぎ疲れた私たちはまどろみに沈んでいく。


(おしまい)


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