見出し画像

【映画随筆#2.2】空白

今回は、𠮷田恵輔監督の ”空白”を鑑賞し、感じたことを記事にしていきます。(注)本稿はネタバレを含みます。

作品名:空白
公開日:2021年9月23日(日本)
出演:古田新太、松坂桃李等

まだ見てない方はぜひ第一部の随筆の方もよろしくお願いします。

第二部として、表明する感情としては、映画という映像作品でリアルさを追求することの皮肉みたいな点について、やや穿った目線で記述したいと感じます。この空白という作品は、ハッピーエンドと呼ぶには救われた人が少なすぎるように、私は感じました。後味が悪いものでは決してないのですが、どこか晴れ切らない、そんな情を残して映画は去っていった印象があります。ある意味では”余韻に浸る”行為がしやすい映画であったとも感じました。
さて、映画には全く疎い私ですが、映画通からとんとん拍子に進みすぎるような、あるいは一般受けに全振りしているような、映画が好まれていないことは、風のうわさ程度で認知しています。例えば新海誠監督の「君の名は。」を絶賛すると、その界隈の人間から鼻で笑われる予想はなんとなくついています。それに対して全くと言っていいほど反論するつもりはないのですが、個人的な感想として、映画体験を最も最大化しているのが、”とんとん拍子ストーリー”なのではないかと、一方で私は思いました。”とんとん拍子”と言っても、ここでは、主人公が願うような結末に最終的にたどり着くものを指しているため、よくある主人公逆転系大どんでん返しもまた、この”とんとん拍子”に含まれると思います。
もちろん、この作品が映画好きからしてどのような位置を占めているのか、どのような評価を受けているのか、わからないのですが、少なくとも私は「空白」をみて、やや疲れました。この実態をエンタメとして消化しきれるほど、私の人生はうまくいってないと考えました。けど、同時に、この映画で救われるほど、私の人生は暇ではなかったとも思います。よく言われる言葉として、「事実は小説よりも奇なり」というのがありますが、実際私もその通りであると思っていて、人生って本当にとんとん拍子ではないと思います。知らぬ間につらい目に遭ってますし、知らぬ間に不機嫌になったりしますし、知らぬ間に武勇伝が生まれたりするのです。これは何も意図するものではなく、多様な存在が多様な存在と相互作用の化学反応を乗算してゆけば、もはや必然といっても過言ではないくらい、予想しないことが起きるのです。それが人の生なのです。それなのに、映画ではたまに、リアルという名の、「思い通りにならない」を敢えて表現することがあると思います。思い通りにならない状況なんて、人生でさんざん味わってきています。もはや既視感を喚起させているかのように、「空白」で登場する人々の痛みは自分と乖離したものとは思えませんでした。俳優陣の演技力の高さ故ともいえるのでしょうが、映画を見ているはずなのに、おなじみのため息を吐いている自分がいたことは否定できません。
何が言いたいかと申しますと、ハッピーエンドってすごい元気をくれると思うんです。それは予想される展開であるから面白くないとか、ありきたりであるとか、リアリティがないとか批判されるのも理解できますが、そんなに絶望を味わわないと、面白いと思わないなら、人生を謳歌すればよいと、思ったりもします。一番あり得ないことを成し遂げているのが、ハッピーエンドなのではないかと、近年は思っています。都合のいいことばかりではないのが人生です。人生を生きようと思えば思うほど、そのうまくいかなさが自分の勲章になってくると、信じています。むしろいかにその勲章の見せあって、認めてもらうかが糧になる人もいるでしょう。もはや苦しいことをどれだけ乗り越えたかが自分の自己肯定感に繋がってくる場合もあるでしょう。そうなってくると、自分と比べて思い通りになって、最後にずっと笑っている人間が映画に閉じこもってくれてありがたいように感じてくるのです。敢えて現実から距離をとっているという前提があるから、ハッピーエンドをハッピーに享受できているのです。一番起こりえないことを、自らやって見せるその人生らしからなさを欲しがって、映画体験を見に行くという人がいてもよいでしょう。私はその一派として、自分から通りフィクションをエンタメとして消化するべく、ハッピーエンドを評価し続けます。

第3部はおまけ程度ですが、こうご期待を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?