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なりたい波動を決めていく。私がなりたい波動を、探る。

先日、LUCAの話をもとに、
波動について私の見解を
まとめてみた。

https://note.com/neutral_luca/n/n8d4742bc36d5?sub_rt=share_b&d=sc8ny4ZcjG


私が放ちたい波動はどんなものか。

100%私をやりきっている私は、
どんな波動を放っているのか。

想いを探っていく。



ネガティブな側面から、
なりたい自分を考える


私が思うに、
ネガティブはポジティブより正直だ。

ポジティブは、
自分が取り繕っているのかどうか、
なにが本心なのか、
私にとってよく分かりにくい。

ネガティブな部分は、
自分にどんな思い込みがあって、
本当はどうありたいのか、
私に教えてくれる。

多分、
最近は心の光が大きい気がするので、
明るいところでは光は分かりにくく、
陰になっている部分がよく見えるのだと思う。

これは人それぞれ、
その時の状況によって違うだろう。



私のネガティブとはなにか。
そしてそれは、
どんな波動状態だと考えられるのか、
考えてみよう。


私のネガティブな側面と
波動の状態

。。。。。。。。。。。
行動力がない。
したいこと(やるべきだと思うこと)は
山ほどあるのに、行動にうつせない。
。。。。。。。。。。。

現実へ影響を与えられないと
思いこんでいる

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
お金に困っていることが多い。
。。。。。。。。。。。

現実へ影響を与える力が弱い

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
いざという時に主張できない。
。。。。。。。。。。。

現実へ影響を与えることに躊躇する

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
だれかに、
なにかに降参しているような感覚。
。。。。。。。。。。。

現実へ影響を与える力が弱いことに
参ってしまっている

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
なにか取り返しのつかない事態が
降りかかるんじゃないかという
漠然とした恐怖がある。
。。。。。。。。。。。

自分は絶対に
現実へ影響を与えられないと
思いこんでしまっている

波動が弱い自分を認めている

。。。。。。。。。。。
手にも足にも力が入らず
立てない感覚。
。。。。。。。。。。。

行動すらできないと
思っている

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
自分は貧血で体が弱くよく倒れる、
無力な人間である。
。。。。。。。。。。。

体質のせいで
行動すらできない

波動が弱い

。。。。。。。。。。。
自分はなにか悪者かもしれない、
嫌われているのかもしれない
という思い込み。
。。。。。。。。。。。

無条件の愛から離れている

波動の周波数が低い



…このような状態が、
今までの人生で形成されてきた。


より強く


ネガティブな側面を書き出して
まず感じたのは、
波動が弱くパワーがないようだ。

パワー不足。

というより、
エネルギーをたくさん
補充しようとしているが、
滞っている感覚。

波動か弱いのはなんでだろう?
と心を探ると、

「放出が怖い」
と言っている自分が現れた。

エネルギーの放出を恐れて
なるべく貯蓄しようとし、
うまく
エネルギーが循環していないようだ。


認識変更してみよう


。。。。。。。。。。。
放出するのが怖い
。。。。。。。。。。。


なぜ怖い?

放出すると、無くなってしまう。
(お金を使うと、無くなる)
(運動すると、消耗する)
(愛すると、飽きる、飽きられる)

それが怖い。嫌だ。
放出したくない。


(本当の認識)
放出することで、
より自分に返ってくる。
怖がらなくていい。

放出は楽しいはず。
お金を使ったり、人を愛したり。
やりたいことを行動に移したり。
放出が好きなはず。


(認識変更)

放出は楽しい。好きだ。
放出しても自然と自分に返ってきて、
また放出できる。


。。。。。。。。。。。
放出しなければいけないときに
身体をこわし寝込んだりで
いつも満足にできない。
。。。。。。。。。。。


(本当の認識)
しなければいけない放出なんてない。

勝手に責任感じて、
勝手にストレスを感じて、

ストレスに対処するために
エネルギーを使っている。

これが
エネルギーがうまく循環していない
理由の一つ。

使いたいところに
エネルギーを使えていない。

だから
放出したいものに放出できず、
困惑しながらエネルギー補充に必死になる。
休んでもストレスで回復しない。

そして放出できなかった想いは、
トラウマとなり溜まっていく。

なぜそうなるか?

周りの目を気にしているから。

で、
周りの目を気にしていると
エネルギー循環が滞るってことは、
私には
常識に気を遣う才能がないということ。

みんな、向き不向きがある。
それが個性。

才能がない上に
やりたくもないことなら、
一旦、諦めよう。


…。😢


(認識変更)

放出しなければいけない、
なんてモノはない。

放出したいものに、
エネルギーを注ぐ。

周りの目を気にして、
エネルギー使わなくてよい。



波動が強いとデメリットがある?



デメリットがあるから、
波動を弱くしていたのだとすると、
どんなデメリットがあっただろう。

私はもともと
「変わってるね」と
よく言われていた。
それは特に嬉しくも悲しくもなく、
ふーんって感じだった。

それと同時に、
なんだかとても寂しかった。

朝から夜まで
友達と一緒いたいような
気持ちだった。

できる限り、毎日遊んでいた。

1人でも、
なにか楽しいこと起こらないかな、
誰かいないかな、
誰かと遊べないかな、と
ギリギリまで散歩したり
お出かけしていた子どもだった。

今思えば、
変えられないと思い込んでいる
現実に対して失望していたし、

自分で自分を愛する気持ちが
少なかったと思う。

親や親戚は、
どんなに成績が良くても
よく私を非難していた。

私は自分を愛せず、
私を非難する人に歯向かいながらも
心では同意していたようだ。

つまり、分離していた。

認識変更してみよう。

私を否定する私の認識変更


。。。。。。。。。。。
自分を強く保ち、
私の個性を発揮した生き方は、
非難されてしかるべき悪行だ。
。。。。。。。。。。。

(本当の認識)
こんなことない。
みんなが私を非難する気持ちを、
私がピックアップしすぎていた。

「嫌いだ」「駄目なやつだ」
と言われてようが、

私の家族やみんなは、
私が思っているより
私のことを愛していたと思う。

変わり者な私を愉快がり、
たまに心配になるも、
心から可愛がっていた。

ただ不器用集団だった。

それでも、
愛されていないと思えるような
出来事証拠だけ反芻し続けるか?

それに、
だれからも愛されていなくても、
私は私を愛するかどうかとは
関係ない。

私はなにがどうあろうと、
私を愛する権利がある。

それでも
私を愛さないでいるか?

条件をつけて、
条件をクリアしないと
愛してはいけないルールを
続行するのか?
どうするかは、自由だ。



(変更)

私は条件なしに私を愛する。

それとは関係なく、
私は
「みんなから愛されている私」
という認識でいることを選ぶ。


まとめ



私の波動は
強く保ち続けることを恐れず、
周りになんと言われようと
周波数を高く輝かせると決意する。

潜在的な不安もあるかもしれないが、
大丈夫。
その波動になると決める。

自分らしい人生にする
覚悟を決める。



私とLUCA



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