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ニューロダイバーシティゼミ:人間理解の新視点
4月から村中直人さん主催のニューロダイバーシティゼミで学んでいます。
村中直人著「ニューロダイバーシティの教科書」が2020年12月に出版され、【出版記念オンラインシンポジウム】 ニューロダイバーシティ~人間理解の新視点~にも参加しました。
ゼミには対人支援のお仕事についている方も多く参加されている印象です。また発達障害のある子育てをしている保護者なども参加しています。
ニューロダイバーシティとは何か、さらなる議論を深めているというところです。
脳や神経由来の多様性にどう向き合うのか?
ニューロダイバーシティとは、脳や神経由来の多様性のことで、発達障害の言い換えではありません。
自閉症当事者の社会運動として約30年ほど前に始まった比較的新しい言葉です。
そしてこの30年といえば、脳科学の発展の歴史でもありました。
脳・神経科学認知科学の社会実装 + 権利養護運動・ダイバーシティ運動
人文社会科学と自然科学の側面を持つ社会活動なんだそうです。
これから多様性の社会にしていこうという運動ではなく
「事実」として存在している「脳や神経由来の多様性に私たちがどう向き合うか」が問われています。
人間「理解」とは?
そもそもなんですが「理解」という言葉をよく使いますけど・・・
理解 = 「理(ことわり)を解する」
単純に仕組みがわかるという意味だそうです。
人間をどう見るかという時に、価値観の前提がそもそも違うということがあります。
わかりやすく例えるなら、パソコンやスマホなどのOSが違うという例えがありました。
iPhoneなのか、Androidなのか、Windowsなのか。
私は今ではMac派ですが、20年以上Windowsだったので最初は慣れませんでしたね。
脳や神経の働き方も、何を重視するのか、そもそもの前提がちがうのです。そこに優劣はないという考え方です。
異文化理解の視点を持つこと
私は小学校2年から5年までアメリカで過ごしました。個人的に異文化理解の視点を持って育ってきたと思います。
言語や文化習慣の違いというのは、そもそもの前提が違うのだから、実は受け入れやすいです。
けれども、同じ国で同じ文化を共有しているという前提だと思っている人が、ちがう価値観や特性を持っていたら、それは違和感を感じるのではないでしょうか。
そういった違いのある人に対して、軋轢や排除が生まれるのではないでしょうか。
わたしは自分の家族が、ASタイプでもまたそれぞれが違うので、前提の違いに困惑することがとても多かったです。
正直なところ、自分が子どもの頃も母や弟も違う文化の人でした。父は定型タイプなので、予測可能という意味で安心感がありました。
結婚して夫が思い込みが激しく、他人を巻き込むタイプなので、すごく苦労しました。「家族なら前提が同じはずだ」という思い込みは混乱を産みました。
夫が生まれ育った家族の文化とわたしの実家の家族の文化も違います。
子育てでは、脳神経多様性を理解せずに、定型発達の子育てを真似して、さらなる混乱を招きました。
異文化理解の視点って、すべての人間関係に必要だと思います。
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