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シンプルで複雑なじぶん

最近、私はnoteのシンプルな見た目が気に入っています。

広告とか、ランキング的なものが無いのもいいです。

余計な情報がないことで、純粋に自分のコンテンツに集中して書ける気がします。


複雑なじぶん

私は、いくつかの発信媒体を持っているのですが・・・

媒体ごとに、ニックネームやアイコンを変えています。

一人何役ものキャラクターの仮面(マスク)を使い分けている感じです。


ブログでは、対外的に見せてるじぶん

noteでは、クリエイターで思考的なじぶん

インスタでは、内面的で感覚的なじぶん

この中の、どれが本当の自分?とは言えなくて

正直なところ、全部自分です。

アインシュタインのシンプル

アインシュタインがこのようなことを言っていたらしいです:

Everything should be made as simple as possible, but not simpler.ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。

アインシュタインの言葉と言われていますが、本当のところは、このように言ったわけではないようです。

ある記事 Simplicity(英語)によると・・・

アインシュタインにとって、単純とは(必ずしも)理解しやすいという意味ではない。アインシュタインは、純粋、無垢、素朴という意味でシンプルを使っている。アインシュタインは、オッカムの剃刀を握りしめて、対象を最終的に私たちの頭脳が簡単に消化できるものまで切り詰めるのではなく、対象の複雑さを完全に把握しながらも、できるだけ少ない、できるだけ単純な要素で理解を構築するよう私たちに言っているのである。
(Deepl翻訳)

https://graeme-47328.medium.com/simplicity-34dec5e201ac

以上、私なりに言い換えてみると・・・こんな感じでしょうか。

複雑なものを、なるべくシンプルにすることによって、素朴で純粋な美しさに近づくことは好ましい。
けれども、あまりにもシンプルにしてしまえば、複雑さも含めたそのものの本質が抜け落ちてしまうのです。


素朴な自分


わたしは、自分の本質は子どものように素朴なところだと思っています。

けれども、素朴だけでは生きていけない。

どんどん色々な知識や経験を積んで、自分を強くして、ヨロイを着込んできたし、気づけば、自分は強い人間だと思って生きてきました。

ずいぶん長いこと、素朴な自分を隠してきていたのです。

やっと最近、自分が安心な環境にいられるようになって、本来の自分が出てきました。

今も時々、まわりが危険だと思ってしまう時もあります。

そんな時、まだまだ知識武装して、安心したい自分もいます。

知識も経験も、役に立ちますし、安心感がない人には必要だと思います。

何しろ、マイノリティにとっては、理不尽な世の中です。

自分を守るのは自分。傷つけられるばかりではいられません。

色々あって、すべてが今の自分を作っています。

だから、複雑なじぶんも、シンプルな自分もすべてじぶん。

尖っているわたしも、まるい私もみんなわたしなのです。

できることなら、尖らないでいられるようになりたいものです。

絡まった糸をほぐす

複雑に絡まった糸の束があります。

元々は絡まってなかったもの。

その糸の束をほどくには、時には誰かに手伝ってもらう必要もあるかもしれません。

絡まった糸を切ってしまえば、一部は使えるかもしれませんが、それでは元の姿になれないのです。

シンプルにするとは、元の絡まっていない糸に戻すような作業なのかもしれないですね。

ちょっとした根気と工夫が必要なのです。

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