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変化を求めることの重要性について

こんにちは。のいまんです。今日はTwitterやでよくあるツイートについてお話したいと思います。

意識高い系のアカウントでは、よく「変化」をテーマにしたツイートをよく見かける。あえてアカウントやツイートを載せることはしないです。自分で調べてみると面白いと思います。だいたい似たようなことを書いています。

そんな「変化」について今回は書いていこうと思います。


私は、「自分が変化していくことは大切である」という意見に賛成です。また、「変化した後が良いものなのか、悪いものなのかに関わらず、変化をすることは重要である」という意見にも賛成です。

実際、私も4年前まで会社員でした。正直、精神もかなり荒んでいました。そんなときに、色んな人に相談して、現在数学科の大学院生になりました。この選択が正しかったのか、間違っていたのか、今でも全く分からない。将来、数学者として就職できれば、正しかったと判断できるかもしれないです。現状では、判断できないです。もしかすると、会社員をしていたら、今頃は主任などの役職が付いて給料が増えたり、結婚していたり、もしかすると子供ができていたかもしれません。

さらに、客観的に見ても変化の正当性について判断することは困難ではないかと思います。例えば、私が会社員を辞めか悩んでいたこと、色んな人に相談しました。その中のほとんどの人が辞めるべきと言っていました。その中でも少数ではありますが、会社員を続けるべきという人もいました。その意見も確かに納得できるものでした。

よって、この「変化」によって認識は4パターンあると思います。

自分:正しい , 周り:正しい

自分:正しい , 周り:間違っている

自分:間違っている , 周り:正しい

自分:間違っている , 周り:間違っている


この中で、自分が「間違っている」という認識だからこそ、自分が考える「正しい」という変化に進むということだと思います。これに対して、周りが「正しい」、「間違っている」という判断をするのだと思います。


自分と周りの見解の違いを埋めるのは、難しいと思います。ただ相手を論破すればいいとは限らないからです。どちらかが相手の考えに歩み寄ることが大切なのではないかと思います。この歩み寄る能力も必要なことだと思います。

私も大学院生になった今でも周りとコミュニケーションを取り、自分の考えや状況を伝え、周りの意見を聴くことをして、自分のやりたいことを進めています。


ということで、「変化を求める」ことは大切だけど、周りの意見を封殺して、歩み寄ることも大切であると考えています。

今日は、ここまでです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。