やれたかもナイト in 阿佐ヶ谷ロフト

東京旅日記の続き。

ソールライター展を見た後、夜はこちらへ。

cakesでは言わずと知れた、やれたかも委員会のイベントなのであります。


異性との忘れがたきやれたかもしれない甘く切ない夜を振り返り、それを判定するのが「やれたかも委員会」。
(単行本帯より)

甘さとほろ苦さの中にあるストーリーが毎回絶妙で、最近のネット発の漫画の中では一番好きかもしれない。
あ、あと独身OLのすべても(笑)

漫画の中では3人の判定員がやれたかやれたとは言えないかの判定を下すのですが、それをリアルの場でやってしまおうというのがこのイベント。
満員盛況でとても盛り上がっておりました。

こんな感じでスライドが前に映され、作者の吉田さんがエピソードを朗読されます。

シーンや言葉のチョイスが絶妙で、切り替わるたびに起こる笑い。

(何気に左上のSAVE THE EARTHがものすごく気になりますが、それは置いといて。)

壇上の3名の判定員が、トークと共に判定を下し、さらに参加者も判定の札を掲げます。

この札はプラスチック製の本格的なもの。
クラウドファンディングのリターンとして、単行本と共にいち早くゲットいたしました。札掲げるの楽しかった(笑)


やれた「かも」と言う通り、出てくる話は結果的にはやれなかった話、いわゆる失敗談的なものになるのかもしれない。
でも、その話の中だけでも、本当にものすごく些細な面白い視点がたくさんあって。
例えば、本棚に並ぶ本の背がぴったり揃ってる、とか。
甘い非日常な世界の隣で普段通り佇んでいる些細な日常との対比というか、並行世界というか。
そこにものすごく魅力を感じるのです。

もはや、やれたホレタハレタは関係ない。
それらは全て結果にすぎないのに。
むしろ面白いドラマはそんな点の部分よりもそれらを包括している空間の中に潜んでいるはずなのに。

それでも大きな点を求めて私たちは一喜一憂してしまうんだよなあ。
分かりやすいからね…。

点を付けた後だって、着々と粛々と人生は進んでいくってことを忘れがちになる。どうも。
点にこだわると、それ以外の大部分を占める空間を彩る方法を忘れてしまう気がする。


なんかソールライター展の感想とも通じるのですが、日常に潜む些細なストーリーをどれだけ発見出来るか、面白がれるか、というのはとても大事だなと。
結果が出なくたって、過程に至る小さな発見を積み重ねていけば、そのレイヤーはきっと個性、深みになって、そこから新しい可能性が生まれたりするのかもしれない。
だから、もっと堂々と日常を生きていいし、アンテナ張り巡らせてもっと面白いこと見つけていかなければな。

…なんてことをぼんやり考えてしまったり。


なんだろ、このやれたかも話はどれもすごく面白いんだけど、単純にアホだなーと笑い飛ばせるものではあるんだけども、ただ人の失敗談を笑い飛ばすだけで終わりたくないなーって、なんか思ってしまって。
私は確実にリア充ではないし、かといって自分の非リア、非モテを正当化すべく斜め上から構えて嘲笑うようなこじらせ大人にもなりたくないし。

じゃあどうなりたいんやって言われると上手く言えないんだけども。
うーん…。
でも、優しくありたいかなあ。
しょうもない笑いの中に、優しさがあれば。

単行本の巻末に小説家の保坂和志さんと作者との対談が載ってたのですが、そこに書いてあることがまさにイベント当日に思ったことや話したことで震えました。

いやーほんと楽しかった。次もあればまた行きたいです。
大阪でもやって欲しいな!

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