(こちらは2017年2月に書いたもの。別ブログより。)
最近、空についてよく考えている。
そら、じゃなくて、くう、です。
仏教の概念である「空」です。
深夜の空しさの行き着く果てが、諸行無常、諸法無我だったりして。
いろんなものが頭の中ぐるぐる巡って、煩悩VS空みたいな構図になって。
でも考えれば考えるほどわけがわからなくなって…
(原因は私の脱線癖なのは分かっている。)
最終的に私の中の魔法の言葉「まあいいか」で一旦収束。
なんじゃそれ。
数あるみうらじゅんの著書の中でも好きな本のひとつ。マイ仏教。
たまに無性に読み返したくなって、また図書館で借りてる。
もう買ってしまえばいいと思う。
特に読み返したくなるところが、「"ホビー教信者"だけが知っていること」のくだり。
必死になって集めた大事な物が壊れたり、手放さなければいけなくなったりした瞬間、例えようのない空しさに襲われます。
(略)
物を集めるということは、空しさを知る修行なのです。
私も収集癖があるので、ものすごく身にしみる言葉。
最近はむしろ集めることに対しての後ろめたさというか、諸行無常感を感じることが多くて、収集熱が上がり切らないっていうのが正直なところ。
好きなものは相変わらず多いけども…。
MJは本の中で、
「後ろメタファー」こそが創作の母とものたまっている。
お釈迦さんは煩悩=欲望が苦の原因と説いているけれど、MJいわく欲望こそが文化を生み出すものじゃないかと。
その矛盾の中であーだこーだ苦しみながらひとときの刹那な文化を生み出して、私たちは死ぬまでの暇つぶしをしている。
お釈迦さんはきっとそれも微笑ましく見てるんじゃないかなあと思ったりしてます。
そして私も自分の中の後ろメタファーをどうにか日々の仕事なり創作なりに昇華出来ないかと日々思案しています。
日々空しさの狭間で揺れながらも、どうにかこうにか私が生み出したもので誰かが一瞬でもニヤっとしてくれたら、それだけで救われる気がする。
追伸。
この本、巻末にあるあとがき代わりのエッセイ「グレイト余生」がグッとくるのでそこだけでもおすすめです。
色即ぜねれいしょんも読み返したくなった。