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「電柱絵画」展・感想(おまけ)

『電線絵画 小林清親から山口晃まで』@練馬区立美術館

(※2021年4月18日に展覧会は終了しています)

明治期〜大正期を中心に現代まで、「電線・電柱のある風景」が描かれた作品のみを展示した、前代未聞・電柱マニアが待ち望んでいた展覧会の感想のおまけ。
(前編・後編はこちら)

本展は日本の美術のなかで「電線・電柱」を描いた作品のみをセレクトし、日本ならではの「電線のある風景」(欧米では電柱は地下に埋まっているので、地上に電柱がない)を通して、過去の名作を見直したり、隠れた「電線絵画」の傑作を楽しませるという誰もきいたことのない趣向の展覧会。もちろん、日本初・世界初の展示テーマとなる。

企画を担当した加藤陽介さん(練馬区立美術館学芸員)は、作品の選定に10年以上かけたらしい。

ものすごい努力だったと思う。なぜなら「電柱を描いた絵」を探そうにも、そんな絵を集めているコレクターもいないし、専門の研究者もギャラリストもいない。もちろん参考にできる文献も存在しないからだ。加藤さんはイチから歴史を書くような、相当の知識と情熱がないとできないことをやっている。(以下の記事に詳しい)

加藤さんの努力とは比べ物にならないが、僕も、ある取材で明治〜大正期までの「木柱期」(電柱が木製だった時期)を調べたことがある。参考文献もないし、協力者もいない(ほぼ誰も興味を持たない)。ひたすら国会図書館で電気関係の雑誌を漁り、ゆかりのありそうな土地を見つければ現地取材......孤独だが楽しかった。

本展図録に文章を寄せている「電気の史料館」の狩野雄一さんには、僕も問い合わせで大変お世話になったので、図録でお名前を見つけたときには感動した。

そういう経緯があって、僕はこの展覧会に「超」期待していたし、実際、作品の量・質ともに想像以上だった。

特に絵画のなかで”排除”されていたモチーフとしての電柱にはじめて光を当てたことは、いかに僕たちが偏った視線で風景を見ているのかを明らかにしていた。地味なようで、かなりパンクな展示だったと思う。

そのうえで、このページでは展覧会で「ここをもっと掘ってくれたら!」という意味での感想を書く。もちろんこういう変わり種の展示を実現するためには周到な根回しが必要だっただろうし、そのなかで取り上げるテーマも相当吟味されたものだと思う。ましてや僕の要望を叶えるために本展があるわけでもない。

だから、本展に文句を言うつもりはなく、ただの電柱好きのワガママだと思って読んで欲しい。

内容も、個人的かつ超マニアックなものである。


1.小出楢重がない

本展で唯一「足りない」と思った絵がある。見られると思って心待ちにしていた作品だ。

小出楢重「枯れ木のある風景」。

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小出楢重《枯れ木のある風景》(1930・昭和5年)出典:ウッドワン美術館

画面下部分の枯れ木の曲線と、鉄塔の直線的な硬さのコントラスト。地面の赤と空の青を分断する、電線による空間の調律効果。そして何より、電線の上に座った謎の人物によってもたらされる謎めいた物語性。

電線絵画のなかで指折りの傑作だと思う。

いや、この絵に描かれているのは鉄道用の高圧線で、厳密に言うと「電線」ではない。しかし......! 本作が出品されていないことには、正直驚いた。

実は本展の図録に、ちらっと《枯れ木のある風景》の画像が載っている。だから当然、加藤さんも意識しているのだ。だったらなぜ......。本作は広島・ウッドワン美術館所蔵。海外の美術館にあるならともかく、国内に所蔵されているのならぜひ持ってきて欲しかった。


2.電柱の価値にもっと踏み込んだ寄稿が欲しい

本展図録には、加藤さんの解説文と、前述の「電気の史料館」狩野さんの寄稿が掲載されている。作品解説も気合が入っているし、「電線年表」は電柱史を紐解く上で貴重な資料だ。

だからこそ本展のテーマである「日本の風景または美術のなかで排除されてきた電柱」という観点からの論考が読みたくなった。しかしもちろん、そんな研究をしている研究者もいなければ、論文も存在しないのである。

現在、電柱はほぼ「コスト」「防災」「景観」の観点からしか議論されておらず、「文化的価値」「美的価値」を語っている専門家などいない。

つまり、「電線絵画」展のために書いてもらうしかなかったのである。各界の論客を電柱談義に巻き込む超チャンスだったのだ。建築学・社会学・哲学・文化人類学などに、電柱とかけあわせたい著者は盛りだくさんにいるだろう。

例えば、藤森照信さんなんか絶対面白いことを書いてくれそうだ。

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藤森照信設計《浜松市秋野不矩美術館》。わざわざ照明に木製電柱をとりつけてある。こういう人が電柱に一家言ないはずがなく、加藤さんと対談なんかしたら面白い話が聞けることは間違いない。

他にも語れる人はいるはずだ。「電線絵画」という前代未聞のジャンルをつくったのだから、そのくらいの議論の拡張があると、なお楽しかった。


3.その他

図録・イベント・展示内コーナーなどで、こんな動線を引くこともできたのではないかと思った。

・電柱の場所性の変遷を示す電柱広告の時代ごとのバリエーション

宮沢賢治・徳田秋声・小川未明など電柱を取り扱った文芸作品

・寺田寅彦、谷崎潤一郎などのエッセイから読む電線の見方の変遷

小林清親・川瀬巴水などの風俗画家の発展としての、戦後〜現代のマンガにおける電柱表現(この領域は作品数が膨大だが、電柱を偏愛するマンガ家・毛嫌いするマンガ家はかなり特定できている)

具体的な事例は省略するが、僕がここ数年で調べている限り、これらは相当掘れるテーマだと思う。

あくまで本展は美術の領域を扱っているので、広げる範囲にも限界と配慮が必要だろうが、何しろ電柱の文化的価値を問うコミュニティがほかにないので、今後の期待も込めて挙げさせていただいた。

ともあれ、日本の屋外空間における特殊な存在としての電柱・電線の文化的価値をはじめて大きく取り扱ったのが「美術館」だったことに、改めて美術の力と社会的な役割の大きさを感じた。

これからも、世界のあらゆる場所に美しさを発見し、時には社会のあり方に疑問を投げかけるような展示を見たいと思う。

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出典:「~上を向いて歩こう~無電柱化民間プロジェクト」実行委員会

電柱が景観を汚していることを訴えるキービジュアル。無電柱化の是非はともかく、本展を鑑賞したあとには、このビジュアルも「電線絵画」にしか見えない。

最後に。本展が終わってしまい、惜しむ気持ちをこめて書き慣れないnoteを書いた。本展の再展開・他館への巡回を強く期待しつつ。

(おわり)




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