金魚のトラウマ①

先日、息子と出掛けたお祭りでゲットした金魚ちゃんは、30cmサイズの水槽のなかで縦横無尽にふよふよ泳いでいる。背びれはピンと立っているし、水草を隠れ家にして、トンネルにも入ってくれる。
実家と通話しながら初めて私がこしらえた水槽を見せると、「金魚、飼えるようになったんだね!」と、母は安堵していた。私はトラウマを克服したのだ。

今回は私の金魚のトラウマ、そして毒親の話なので超閲覧注意です。

私の父は、平たく言うとDQNだった。ちっちゃな頃からワルガキで、15で不良と呼ばれたアレである。私たちの態度が気に入らなければ怒鳴り続け、3時間程の説教コースに入る、まあまあな毒っぷりであった。父はある日アクアリウムにハマり、濾過機やらエアーポンプやらをスチールラックに並べたり、古いWindowsの壁紙のような背景を水槽に貼り付けたり、そこら辺で拾ってきた石を置き、ライトをつけて水草を浮かべては「もののけ姫みたい」といって喜んでいた。今思うと屋久島に申し訳ない。

家は田舎の公団住宅だったため、同級生も半数の生徒がそこに暮らしていた。地域の繋がりは当時色濃く、毎年行われる春のガーデンパーティーや七夕まつりは、遊びに飢えた子供たちの人気イベントであった。小さい妹のナツ(仮名)も母に連れられ祭りを楽しんでいた。
商店街では各店、綿菓子やかき氷、焼きそば屋、籤引き屋台になった。例に漏れずわたしは金魚をうまいことすくい、赤と白のちっちゃな金魚を父の持つ水槽に入れてもらった。元々立ち上がっていた水槽は水草のおかげか含有される酸素や微生物も小さな巻き貝までいる環境が申し分無かったようで、袋から飛び出したチビ金魚たちはすぐに順応した。

人間のように毎日毎食を必要としなかったので、餌くれダンスをはじめたらあげる、という飼育が幸いしたのか体調は8cmくらいまでになった。私は餌やりを時々行い、父が水槽の掃除をサボり始めて藻が出て苔むし、使ってない時の学校のプールのようなワイルドすぎる生育環境の中でも、彼らは水草や湧いたミジンコを食べてぶりぶりと育った。
その水槽に、悲劇は突然起きた。

ある日の夕方、ドブの臭いと生臭さが混じった臭いに気付いたのは父だった。「おい、金魚が死んでるぞ!!」と怒号し、まったく心当たりのない私は、え?と水槽を見に行った。

…ひどい有り様だった。研ぎ汁のように濁りきった汚水、あれほどたくましく肥えた二匹はそろって土左衛門になり、口を開けてでっぷり浮いてライトにぬらぬらと照らされている。そして、浮草をはるかに凌駕する見覚えのあるものがびっしりと浮いている。
水を腐した生臭さの正体は、大量の金魚の餌だった。

絶句する私の向こうで母も青ざめている。「…これ、お前がやったか。」父は静かに母に聞いた。そんなはずはないことは明確だった。母は世話なんかしない、生き物は苦手だ。
もちろん私であるわけもない。餌のやり方は粒を手のひらの窪みに小匙3分の1くらいを乗せてからぱらぱらと水槽にいれるのだ。いつもそうしている。

父の視線が私に来た。
「アキがやったのか」

私は「私じゃない。」と言う。

(続く)

(もうやだ)

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