自分のために書く文章は癒しになる。

読者を想定した記事は「誰かの役に立つ」。
私は役に立たない記事が好き。
自分自身もこうして役に立たない文章を書いている。

心の内に秘めていることを独りごちたような文章。
それは心が開けっ放しにされた、まるで出入り自由の個展。
それでいて言葉たちは、とてもじゃないけれど額縁に入れられた「作品」とも呼べない。
乱雑に並べられているだけ。
個展に見えて、実は散らかされた子供部屋なのかも?

自分のために書いた文章には、自分を癒す力がある。
他者から見れば単なる子供部屋のおもちゃでも、書いた本人にとっては一つひとつが大切なおもちゃ。
親しみが込められているし、愛おしい。

癒しは他者に伝染する。
誰かが癒される様子を見ると自分も癒される。
要は、その周波数に同調するのだろう。
自分が自分のために、誰かがその人自身のために書いた文章にも、同じことが言えるんじゃないか。
誰かが書いた「役に立たない記事」を読むと、私も癒されるのだから。

もっと「役に立たない記事」が増えたら良いな。
有益な情報を求め続けることは疲れる。
私は無益なことを出来るだけ多く摂取して生きたいと思っている。
そして同じくらい、自分も無益なことを多く放出して生きたい。

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