何故文章を書くのか。

理由は人それぞれ。
私自身は、その一瞬一瞬の自分が何を考え、どのような価値観に基づいて生きていたのかを記録するのが目的となっている。

人は常に変化し、それは死ぬまで続く。
一ヶ月ほど前の自分なら、大体「そういえば、こんなことを考えてあんな行動取ったんだった」と思い出せる。
それが一年前にもなると、出来事や行動は思い出せても、自身の内面については断片的にしか思い出せなくなる。
数年経てばもうすっかり「別人」のような認識になる。

昔の自分はあんな行動を取った。
確かに私なら、その選択をするだろう。
だけど、その時に考えていたことはほとんど忘れているのだ。

もちろん、何年経っても変わらない価値観、思考回路もある。
それはその人の性格の中枢部を構成するような特徴なのだろう。

最近私は「気軽に」文章を書き残せなくなっている。
理由として、猛スピードで変化が起こり続けているから。
何が、と言えば感覚全てかもしれない。
一旦ストップし、その時点での思いを書き残そうにも
次から次へと考えや価値観が流れて行く。
書き始めたところで、もう次に行く頃だ…と歩き出してしまう。
次に行く前の…今日は取り急ぎ書いている。

端的に言えば、日常の全ては取るに足らないのかもしれない。
人も含めて命ある存在は、大きな流れの中を生きている。
その一つ一つにしがみつくのも良し、流れるように進むも良し。
愛する者の死でさえ、大河の中の小さな泡沫である。
全ては取るに足らない愛おしい体験。
大小問わず美しく煌めいている。
全ては無限大に愛おしい体験。

私は自分の文章を見返すことがほとんど無い。
いつの日かこれを見返す時が来るとしたら、
2023年9月の私はこんなことを感じていたのだと微笑ましく、小っ恥ずかしくなるだろう。

心に降りて来たものを出来るだけ書き残すようにしたい。
それが私に与えられたものであると感じている。


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