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外国籍と日本国籍の壁。

私には日本生まれで外国籍のパートナーがいる。数年前、私の父が結婚の条件として彼に帰化を求め、彼はそれを(快くではないが)受け入れてくれた。しかし私は我が父ながらその行動を差別的と感じ、従うつもりは無い意思表示として、帰化も入籍もしていない。父含め、周りからはプラプラしてる二人と思われているだろう。御尤もなので異論は無い。

国籍が異なるパートナーと結婚する際、違う国籍のままにするか、どちらかが他国籍を取得するかの二択だろうけれど、私達はそのどちらでもなく入籍しないという選択をしてから数年経つ。二人とも、そんなに結婚願望が無いというのもある。

日本人として日本に生まれた日本国籍の私と、日本に生まれて日本国籍でない彼との間には明確な壁がある。そして恐ろしいことに、前者だけに囲まれた生活をしていればその壁は全く見えない。「壁は存在しない」ように思えてしまう。壁の内側が整備された街なら、外側は舗装されていないデコボコ道のちょっと歩きにくい街のように思える。

例えばつい先日、彼が某ネット銀行の口座開設手続きを申し込んだ時の話。必要な書類(勿論、日本国籍の者には必要ではない書類)を用意して郵送したにも関わらず、「まだ必要な書類があります」とのこと。初めはそんな表記無かったのに…まあ仕方ないか…と追加で書類を用意し郵送したのだが、その後も中々手続きが進まない。痺れを切らした彼は何度かメールや電話でやり取りしたものの、結局数か月間「保留」のような状態で今もストップしたままだ。面倒臭過ぎてもうやめよっかな、と彼はうんざりしていた。ちなみに私は同ネット銀行の口座開設は一、二週間で完了している。

上記は一例に過ぎないし、まあ運が悪かったね~という話なのかもしれないけれど、こういった問題は日々の中で地味にMPを消費する。なにかしらの手続き系のハードルが上がるので、私にとって「面倒臭い」レベルの事柄が彼にとっては「バチボコ面倒臭い」レベルなのである。そしてそれを「仕方ない」と受け入れるのが普通になっている。

「日本で暮らす日本人」が、それだけでもまあまあイージーモードであることを、私は彼と生きて初めて知った。

「じゃあさっさと帰化すれば良い」という意見をお持ちの方もいると思う。私は個人的に、それは自分の状況をスタンダードだと考え過ぎではないか、と遣る瀬無い気持ちになる。数十年間その国籍で生きて来た人相手に、「さっさと日本人になったら」と言うのは、あまりに軽いなあと思ってしまう。私の感覚が異常なのかもしれないが、日本に生まれ日本語しか話せない人がお金を払い面接をしてわざわざ「日本人になる」って、すごい変なことだなと思う。

父は「日本人であること」をとても重視していて、そう考えるに至った事情も以前聞いた。それはそれ、これはこれで、私はパートナーの国籍はどうでも良い。付き合った人が日本人じゃなかった、それだけである。「日本人以外」に足枷をはめる父、延いてはこの国の「帰化」という制度そのものへの不信感が募ってしまい動けずにいるけど、私はそちら側よりも毎日横にいてくれる彼を選ぶので、このまま夫婦になることもなく、まあ何となく、パートナーという大枠で生きて行くかもしれない。

国籍のことを記事にしてみたけど、国籍以外にも世の中にはいろいろな――本当にいろいろな――見えない壁が山ほどあって、運よくそれに気付けた瞬間ゾッとする。一生その壁を無いものとして過ごしていたのかもしれないと想像すると恐ろしい。そして私自身、別の問題で壁の外側にいると感じる場面もあるけれど、そういう時に寄り添ってくれる人達をとてもありがたいと思う。

壁の内と外で完全に分かり合うことは無理でも、違う者同士踏み込み過ぎず、時にはほどほどに手を取り合うようなゆるい関係で、色んな人と関わりたいなと思うのでした。

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