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日常の儀式化と「丁寧な暮らし」。

なんていうタイトルにするとムズカシイ人間のようですが、私はムズカシイ人間ではないので以後タイトル選びをどうしようか考え中。「タイトルは顔だから野暮ったくするな。ズバッと述べろ」と学生時代にゼミの教授から口酸っぱく言われたのを思い出す…。

さて、noteを始めて2つ目の記事に何を書くか、1つ目の記事とは比較にならないほど考えた。「自分は何者であるか」についてでも書こうかと思ったが、萎縮が始まっていそうな自分の脳とお粗末な語彙力でそんな高度な哲学的テーマを扱えば香ばしさが抜きん出るな…ということで中止した。

では、だらだらと始めます。

数年前、私が「日常を儀式化する」という考え方と出会ったのは、精神科医・名越康文先生による著書『SOLO TIME 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』です。

振り返ればこちらの本を読んだ当時は今よりも心が不安定で、知識をインプットすることで現状から脱却出来る手掛かりを欲していた。「自分のことも他のことも何もわからずいっぱいいっぱいで泣く」という赤ちゃんのようなカオス状態が長いこと続いており、というか中学生辺りからずっとそんな感じの赤ちゃん状態で生きていたので半ば諦めつつも、知識を得れば何かが変わると信じていた。あれから数年、30代に突入した現在もまあまあ赤ちゃん状態だが、とにかく藁をもすがる思いで出会った考え方の一つが名越先生の「日常の儀式化」でした。


●日常の動作と「行」

著書の中で惹かれた「行」というワード。それまでの人生で聞いたことが無かったため、初めは「HUNTER×HUNTERの念能力開発の修行にありそう」くらいの印象だった。ちなみに水見式では葉にも水にも変化無しでした。

名越先生曰く、「行」というのは「身体とモノとの感応を利用して心を落ち着けること」で、「必ずしも滝行や断食のような、厳しい、本格的なものばかりではありません」。日常の中に行を取り入れると、群れ(社会や自分が所属する集団)から自然と距離を置くことができ、心が落ち着くらしい。「行」が修行の一つであるという意味ではHUNTER×HUNTERの印象は正解だった。

生活の中に取り入れる「行」の具体例として、普段眼鏡を掛けている人だったら、一日のどこかで心を込めて眼鏡を拭く。儀式のようにちょっとお高めな眼鏡拭きなどを使うのも良し。丁寧にゆっくりとした動作を心掛けるのがポイント。以上。(※名越先生による説明はこんなざっくりとしたものではないです、念のため。ご興味のある方は上記の著書をご覧ください。心を落ち着ける言葉やためになる心掛けが満載の素敵な本です)

率直な感想は「やろう…」だった。感化されやすいミーハーである。しかしながら実際、日常的に心を込めて何かをすることは当時の私には斬新だった。毎日の行動一つひとつが、特に頭や心を使わずともこなせる動きだけで構成されていたからだ。ただ自分に置き換えて考えてみると、革製品の手入れを始めると没頭するあまり1時間近く経っていることが多々あり、その後心がむちゃくちゃスッキリしていたりする。なるほどあれは「行」だったのか…と後から気付かされた。

以来、丁寧にゆっくりと物を扱うという試みを日常の中に取り入れている。革製品の手入れ以外で。心を込めてニンニクの皮を剥くなどしている。

生きていると無意識のうちに、自分の心や思考は外部からの情報に飛びついて行ってしまうのだが、意識的にそれらを遮断して目の前の物に集中することで、一息ついて頭を空に出来る。頭を空にするとその後のパフォーマンスが劇的に上がるとかそんなんでも無いが(元々諸々の能力値が低い)、とにかく頭を空にしたくなる。頭を空にしたいという欲求が自分は強いのです。「行」からの繋がりで私が瞑想を心掛けるようになるお話も、いつか書きたいと考えています。


●丁寧な暮らしってそういうことなのかもなあ

「丁寧な暮らし」という言葉を聞くと、毎日隅々まで掃除が行き届いた家で、朝から土鍋でご飯を炊き、作家さんが作った風情ある食器で、鮭と卵焼きと自分で漬けた梅干しと具沢山なお味噌汁を頂き…みたいな生活が頭に浮かぶ。多分多くの人が考える「丁寧な暮らし」の概念ってまあまあ近いイメージだと思う。和風verが7割、洋風verが2割、残りの1割は北欧verとかが占めている気がする。知らんけど。

そしてそのイメージとは程遠い自分の生活に落胆したりするんだよね。だけど何もそこまで泣く子も黙るほど激烈に丁寧な暮らしをしなくても生活は回るし、私自身は向上心の欠片も無い人間なので個人的に「全員生きているだけでOK」スタンスだし、どんな暮らしを選ぶのかは自由でありそこに優劣は無いと考えています。言わずもがな経済的事情や社会的な問題を孕んでいるなど、楽観視が許されないケースも大いにありますが…。

ただ、ちょっと心がしんどい、何が何だか分からない赤ちゃん状態だな、という時に、自分が出来る範囲の「行」を日常に取り入れることはとても良いなと思った。日常、延いては自分が選んだ生き方を静かに見つめる時間がほんの一瞬でも生まれると思うのです。

「丁寧な暮らし」というのは目の前にある物だけと向き合い続けた末に生まれる、言わば修行の成果なのかもしれない。形から入ったとしても、心が伴っていない限り似て非なるものなのだろう。

もしかするとその積み重ねの結果として、朝から土鍋でご飯を炊き、自分で漬けた梅干しを食べる暮らしに辿り着けるのかもしれない。無理か。私は明日もドリップした業務スーパーのコーヒーに豆乳とココナッツオイルと海洋性コラーゲンを入れたものを飲み、人肌に温めたヨーグルトに蜂蜜と黒胡麻きなこをトッピングしたものを食べ、業務スーパーではない激安スーパーで買った岩海苔と一緒に白米80g、そして無塩煮干しを10匹くらい食べます。…そこそこ丁寧に暮らせているか?


●梅漬けたい

自分で漬けた梅を…と上記に挙げたが、今年初めて青梅を使って梅シロップでも作りたいと思った。しかし「梅酒作りはOKだが梅シロップは買った方が良いのではないか」という判決を下され保留となった。何故なんだ。いつかこの手にしたいから待っていて、青梅。


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