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宇野維正が推す必見作「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3に刻まれた、キャンセル・カルチャー時代のリスタート

エミー賞を獲得したNetflixオリジナルドラマ「マスター・オブ・ゼロ」のシーズン3は、デニース(リナ・ウェイス)とそのパートナー、アリシア(ナオミ・アッキー)の結婚生活の光と影、妊娠にまつわる葛藤、夫婦として、個人としての成長を丹念に綴った現代のラブストーリー。監督はシリーズの共同制作者、エミー賞受賞のアジズ・アンサリが務め、脚本はアンサリとウェイスが共同で手掛けています。

シーズン3は、前シーズンとのつながりを保ちつつ、シリーズを次のステージへと導き、独自の切り口で新たな物語を語り始めます。愛の喜びは一瞬にすぎず、絶望と喪失が描かれる中、浮かびあがるのは、愛そして人生とは? という根本的な問いに、映画ジャーナリストの宇野維正さん流の解釈でお応えします。(ネトフリ編集部)

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ただの「シーズン3」ではない。新シーズンにおける要点

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「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントについて語る際には、最初に二つのことを整理しておく必要があるだろう。一つは、今回のシーズンが2015年に発表された10エピソードからなるシーズン1、2017年に発表された同じく10エピソードからなるシーズン2に続く、ただの「シーズン3」ではないということ。インド系アメリカ人のコメディアン、アジズ・アンサリがショーランナー(アラン・ヤンとの共同)と脚本を手がけ、一部のエピソードで監督も務めてきた「マスター・オブ・ゼロ」シリーズは、アンサリ演じる主人公のデフを中心とするコメディ・ドラマ。アメリカのコメディ・ドラマの多くがそうであるように、本作はこれまでドラマとしての連続性はありつつも基本的に一話完結の形式をとってきた。同作のユニークな点は、エピソードによってはデフ以外の登場人物に焦点が当たったり、一つのエピソード丸々モノクロになったり、部分的にサイレントになったりと、一つ一つのエピソードに独立性があるだけでなく、そのナラティブ(語り口)においてもエピソードごとに異なる手法が用いられてきたところにあった。

実質上、今回の「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントは、シーズン2の最終エピソードから数年経った後の新しい一つのエピソードを(シーズン2までの各エピソードと違ってサブタイトルのない)5つの章に分けた作品と言える。映像フォーマットもシリーズでこれまで一度も用いられてこなかった16mmフィルム撮影によるクラシックな質感の横縦比1.33:1のスタンダードサイズで統一されていて、監督もすべてのエピソードをアジズ・アンサリ自身が務めている。つまり、「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントは「マスター・オブ・ゼロ」の4年ぶりの新しいシーズンというよりは、「愛のモーメント」というサブタイトルが冠せられたトータルで約3時間に及ぶ一本の映画のような作りになっているのだ。

もう一つ前もって知っておいた方がいいのは、今回の「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントでは、アンサリ演じるデフはエピソード1とエピソード3にほんの少し登場するだけで、完全な脇役に回っているということ。デフの代わりに主人公となるのは、これまでデフの親友の一人として登場していたデニースと、このシーズンが初登場となるそのパートナー、アリシアの二人。また、デニースを演じるリナ・ウェイスは全エピソードでアジズ・アンサリと共に脚本を手がけている。

過去にもデニースが主人公で、ウェイスがアンサリと共同脚本を手がけているエピソードが一つだけあって、それがシーズン2エピソード8の「サンクスギビング」だった。自身が同性愛者であることを自覚するようになった12歳(1995年)から34歳になった現在(2017年)まで、毎年11月の第四木曜日にやってくる感謝祭(サンクスギビングデイ)を定点観測することで、家族がデニースの性的指向を受け入れていく過程を描き出した同エピソードは、2017年のエミー賞でコメディ部門の最優秀脚本賞を受賞するなど、名エピソードばかりの「マスター・オブ・ゼロ」の中でも屈指のベスト・エピソードとしての評価を確立してきた(もし「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントからこのシリーズを観始めようと思っている人がいたら、たった34分間のこのエピソードだけでも事前に観ておいてほしい)。

ただ、今回アンサリが4年ぶりに「マスター・オブ・ゼロ」を手がけるにあたって、デニースのその後に焦点を当てることにしたのには、その「サンクスギビング」が称賛を集めたこと以外にも個人的な理由があったと推察せずにはいられない。

前シーズンまでは、アジズ・アンサリの人生を反映

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アンサリはスタンドアップ・コメディアンとして、たった一人でマジソン・スクエア・ガーデンを満員にする(同公演の模様はNetflix『アジズ・アンサリ マディソン・スクエア・ガーデン・ライブ』に収められている)ほどのポピュラリティを誇る一方で、社会学者エリック・クライネンバーグと組んで『Modern Romance: An Investigation』(『当世出会い事情 スマホ時代の恋愛社会学』というタイトルで日本でも出版されている)という綿密なリサーチと世界各地(東京も含まれる)でのフィールドワークに基づいた恋愛に関する本を執筆している。『Modern Romance: An Investigation』が出版されたのは2015年6月。「マスター・オブ・ゼロ」が始まったのが2015年11月。シーズン2までの「マスター・オブ・ゼロ」は、アンサリがそれまでコメディアンとしてステージの上で披露してきた移民2世のインド系アメリカ人独身男性のパーソナルな視点から見たこの世界の滑稽さと、『Modern Romance: An Investigation』における現代恋愛事情に関する膨大なリサーチで得たインプットを、コメディドラマという形式でミックスさせた作品だったと言うことも可能だろう。

シーズン2を作り終えたアンサリは、シーズン3の可能性について訊かれた2017年当時のインタビューで、「30代の独身男性である自分が、ご飯を食べたりデートをしたりしてニューヨークを走り回ることについて、言いたいことはもう言い尽した。もし次があるとしたら、それは自分の人生が完全に次のフェーズに入ってからになるだろう」と答えていた。エピソードによっては他のキャラクターに焦点が当てられることはあっても、シーズン2までの「マスター・オブ・ゼロ」の中心にあるのはあくまでもデフ(≒アンサリ)の人生だったのだ。

しかし、その「次のフェーズ」は思わぬかたちでアンサリの身に襲いかかることとなった。#MeTooムーブメントが吹き荒れていた2018年、フォトグラファーの仕事をしている一人の女性から、ゴシップ系の(現在は更新がストップしている)ウェブメディアを通して性的不正行為の告発を受けたのだ。告発の内容については法廷に持ち込まれるようなものではなく、行き過ぎた#MeTooの象徴と見做すメディアやジャーナリストも少なくなかったものの、結果的にアンサリは休業を余儀なくされた。皮肉なことに、アンサリは「マスター・オブ・ゼロ」シーズン2の最終エピソードで、始まったばかりのテレビの新番組でデフが相棒を務める人気タレントが複数の女性からセクハラの同時告発を受けて、生番組中にキャンセルされる様子をコミカルに描いたばかりだった。

表現者として、次のフェーズへ前進

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2019年、アメリカ国外の小さな劇場をツアー(告知は本人のInstagramのみでおこなわれた)で回っていたアンサリは日本にもやってきて、自分はその場に居合すことができた。下北沢の小さなパブのステージでは、近年出会ったパートナー(デンマーク人の物理学者)と落ち着いた生活を送っていることが伺えるネタも披露されて、彼の人生が本来の意味でも「次のフェーズ」に入っていることが伝わってきた。しかし、「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントはデフの物語ではなくデニースとアリシアの物語となり、そこに脇役として2回だけ登場するデフは、仕事上の相棒のキャンセル騒動を受けてレギュラー番組を失って以降、すっかり落ちぶれてしまった生気のない男として描かれている。

つまり、これまで都市で生活する30代独身男としてのアンサリの実人生と並走してきた「マスター・オブ・ゼロ」の物語は、アンサリがラブコメディを無邪気に演じることができなくなったことによって、大きく路線変更することとなったのだ。「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントが今回だけのスピンオフ的な作品なのか、それともいつかまたデフの物語として戻ってくるのか、それはまだわからない。ただ、かつてのようにデフが様々な女性たちと夜な夜なデートを繰り返すような物語として戻ってくることは二度とないだろう。

「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントでは、有色人種であり、女性であり、同性愛者である、アメリカ社会において何重にもマイノリティの立場にある二人の女性の婚姻生活や妊活や不倫という、これまで映画やテレビシリーズがほとんど取り上げたことがなかったテーマが真正面から描かれている。そこにはアンサリの作品ならではの痛々しさギリギリの鋭いユーモアのセンスも健在だが、全体的にはコメディ要素は大きく減っていて、その一方で、(主に過去のヨーロッパ映画や日本映画のクラシックをヒントとした)様々な映画的なアイデアが実践されている。「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントを観れば、アンサリが表現者としてもーー特に監督としてもーーまったく新しい次のフェーズに入ったことがわかるだろう。その変化は(アンサリ本人にとってだけじゃなく彼に嫌疑を持たずにいられなかった一部のファンにとっても)痛みを伴うものだったが、「マスター・オブ・ゼロ」シーズン3:愛のモーメントに刻まれているのが、表現者として萎縮した結果の後退ではなく、確実な前進であることだけは間違いない。

文・宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)
Twitter: @uno_kore

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