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30歳になる前に。

なるらしい、30歳に。
3月18日に(よかったら気にしててね。)

誕生日を来週の月曜日に控えているわけだが、10代前半のわくわくや、20代後半時の30に近づくことへの不安が消え、コントロールが素晴らしくミットを構えているだけでそこに吸い込まれていくであろうピッチャーとバッテリーを組んで安心しきっているキャッチャーのようである。

というのは嘘である。

どっしりと構えているキャッチャーの気持ちと「本当に30歳になるんだろうか、僕が?」と言う気持ちが混在している。残高がなく改札で大音量でピンポーンと弾かれるみたいに23:59:59に30歳になることが何物かの力により、弾かれるんじゃないかと不安である。

いや、むしろ弾かれて欲しい。

まあもちろんそんなシステムで人間、生きているわけがなく、たぶん普通に30歳になる。27歳を迎える時も「ぐふふ、僕はもしかして天才で28歳になる瞬間に命が終わるんじゃない??」って時も普通にコンビニ前で缶ビールを飲んで迎えた。

ほな、なにに不安を感じているのか。
答えは明確である。

「自分という存在が30歳に適していない」のである。中学生の時分、マージナルマン、ピーターパンシンドロームという言葉を学び、「絶対に大人になるマン」という決意をした。

しかし加齢とともに自身のガキの部分(あえてガキという言葉を使う)や何者にもなれないんじゃないかという不安と常に闘ってきた。

自身の今のステータスはどうだ。
会社員(人材系最大手)、音楽家(フェスへの出演あり)、ライター(お金をもらったこともある)

うん、素晴らしい。素晴らしい。
二足の草鞋で「働きながら〜をする」の実践者として生きている。

しかし、ステータス上に見えない自身のやりきれていない部分が多くある。

それはなにかというと「中途半端」なのである。そんなことないよー!って言ってくれる人がいる。自分を必要としてくれる人も少なからずいる。
ただ、中途半端なのである。そう自身が思っているから中途半端なのである。異論は認めない。

ただ前向きに言うと
①自身を俯瞰している
②現状に満足せず常に何かを追いかけていく
③いつか終わる人生で止まらないことへの決意

これがある。

ただ現状を見て終わらないために行動し続けようと言う思いがあっても自分が少しでも満足しなければ意味がない。

それでは少しでも自己肯定感をあげるためになにをすべきか。

言わずもがな「行動と選択」なのである。

動き続けること、自らの選択肢を増やし選択し続けること。ここに重きを置いていきたい。

ぶっちゃけ、これずっと言ってる。

それっぽい言葉を言い続けている。

もっと細分化しようや、ということで誕生日までにもう少し言語化したい。

今銭湯の喫煙所でぬるぬると打っているのだがたぶん出てくる。たぶん出てくるけど文章にできんかったwwwwという自分の行動力の中途半端さが若干見えるが、なんとなく見えてきたのでこの文章を書くことがいわゆる及第点である。

おそらく、これたぶんおそらくなんだけど
①色を増やし続ける
②人を巻き込む
③表現者であり続ける

この三つが重要な要素になるであろう。

続きもwebで。

3月18日で僕は、30歳になる。

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